Vibraphone
Information Part-1&2
Toshihiro Akamatsu ●読みきり/ジャズとの出会い、ゲイリー・バートン氏との出会い、ヴァイブとの出会い
Profile:赤松敏弘(Toshihiro Akamatsu)

[vibist/composer]
愛媛県松山市出身。バ−クリ−音楽大学(米・ボストン)ヴァイブ専攻ジャズコンポジション科卒。ヴァイブをゲイリー・バートン、マリンバを安倍圭子に師事。
3歳からピアノ、11歳からジャズに傾倒し13歳から独学でヴァイブを始める。16歳からマリンバを安倍圭子氏に師事。高校(作陽高校音楽科/岡山県)時代からジャズを始め、大学在学中よりローカルミュージシャンとライブハウス、TV等で共演。 卒業後上京し自己のグループを結成、ライブやスタジオワークを始める。"ANNEX82"「ベストプレ−ヤ−賞」「審査委員特別賞」「ゲスト審査員賞(ジョージ・デューク)」を受賞。
85年バークリー・イン・ジャパンでゲイリー・バートンに認められ翌年奨学生としてバークリー音大でヴァイブと作曲を専攻。「ゲイリー・バートン・アワード」「プロフェッショナル・スカラシップ」「89年度バークリー・ジャズコンポジション・マグナコムラデ」等受賞。在学中には小曽根真、スクーリ・スビレッセン等と共演。
89年夏バークリー卒業後帰国、市川秀男、鈴木良雄、日野皓正らのグループに参加、自己のグループでも各地ジャズフェス、ライブハウス、FM、TV等に出演。スタジオワークではオリジナル・ラヴ、藤本恭子、大塚雄一、マルカート、鈴木雅之、bird、角松敏生等のアルバムに参加。
90年、リーダーアルバム「アンファンIII/フィーチャリング赤松敏弘」(ポリドール)、「ナウズ・ザ・タイム・ワークショップ(コンピレーション/赤松敏弘A-Project、Duet
w/道下和彦(g)収録)」(BMGファンハウス)、「Next Door
/赤松敏弘」(VME)リリース。 01年5月、ヴァイブ・ソロによる完全即興演奏に初チャレンジした音楽環境番組「Eco
Music Colors」<スカイパーフェクTV!
>オンエアー。 02年12月、ジャズ界のベテラン市川秀男、鈴木良雄をゲストに迎え、ユキ・アリマサ、村井秀清、NEXT
DOOR等新進の若手を一堂に介した話題のアルバム「SIX
INTENTIONS/赤松敏弘」<TBM/スリーブラインド・マイス>をJVC-xrcd24として世界初リリース。国内・海外で大きな反響を呼ぶ。03年11月、ゲストにジャズギターの大御所、中牟礼貞則(g)を迎え、ユキ・アリマサ(p)Duo、ニュークァルテット、84's
リユニオン・バンド等多彩な編成を用いジャズスタンダードとオリジナルで綴ったTBM第2弾「Still
On The
Air/赤松敏弘」(03年度スイングジャーナル誌ジャズディスク大賞日本ジャズ賞ノミネート)リリース。05年赤松・アリマサDuoとドラムレスEnsによる「SYNERGY/赤松敏弘」を6月に、宮崎隆睦、須藤満、井上信平、村井秀清、小山太郎等新メンバー2種コンボによる「FOCUS
LIGHTS/赤松敏弘」を10月に。07年8月初のデュオアルバム「Tide
Graph/赤松敏弘」w/ユキ・アリマサ(p)Duo &
松島美紀(mar)Duoリリース。08年1月には、市川秀男、後藤浩二(以上p)、養父貴(g)、マリンバ王子(mar)、鈴木良雄(ac-b)、村上聖(b)、大坂昌彦(ds)というベテランから若手まで話題のメンバーによる「Stream
of Life/赤松敏弘」リリース。
アルバムのリリースと平行して、iTunes
Store、au着うた着JAZZ、着JAZZフル、NTTドコモうたホーダイ、等の音楽配信も行う。
演奏活動以外でも音楽ライター、プロデューサーとして活躍。 ・CDライナーノーツ/
「Chuck Loeb/LISTEN」<GreenEnargy GECH8023> 「Kim Waters/ONE
SPECIAL MOMENT」<Shanachie/米 SHANACHIE 5062> 「THE DIZZY
GILLESPIE Alumni All-Stars」<Shanachie/米 SHANACHIE
5040> 「Mars Lasar/11:02」<EarthTone/豪ETD-7802> 「Kevin
Toney/Strut」<Shanachie/米 SHACD5077> 他、・プロデュース「in
the meeting of your
love/MIHOYO」<BlueBlood/BLBD-0001>、音楽配信シリーズ「VMEレーベル/au着うたTM「着JAZZ」「Neo Healing Classicシリーズ」「au着うたフル」等。
*注:本プロフィール欄は著作物対象外(写真を除く)ですが編集及び引用する場合は予め管理者(トップページのメールアドレス)まで御一報下さるようお願い致します。(2008年5月21日追記/赤松敏弘)
ヌDiscography
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Vibraphone
Information
Part-1楽器の歴史について
この解説の一部は1984年から86年にかけてマリンバ・コミュニティーとしてマリンビストである安倍圭子さんが首監された「marimba
debut」の機関誌「marimba
debut」第2号、第3号、第4号に掲載された「Vibraphone
Information/赤松敏弘」の原稿の一部を引用して作成しています。
この楽器の生い立ちについては様々あります。そのどれもが正しく特に訂正するような事はありませんが、代表的な説として、オーケストラの中で持ち運びに便利な鐘(主に教会の鐘)の代用として開発されたという説、パーカッションとして音の減衰をコントロール出来る機能を有するマリンバやシロフォンとして開発されたという説の二つが今日の定説となっています。
誕生は1930年代にアメリカでという説が有力です。誕生はオーケストラの中での打楽器というセクションでしたが、この楽器の技術的な発展はジャズによって開拓されました。その理由として考えられるのは、楽器としては比較的新しい部類に属するので人工工学的に響きやヴィブラートを発生できるように作られている事、素材に鉱物を加工した合金類を使っている為、工作が比較的簡単であり、製品として安定した品質レベルの供給が可能である事等、何百年もの歴史により発展してきた楽器と比べると正に現代っ子のごとくドライな気質を持っています。そのような特にクセを持たない性質の楽器であれば、使う為の技術はさほど必要とせず、使われ方(楽曲での使い方)で楽器の技術的な発展が行われます(今日のシンセなんかもこの技術が発展して開発されていたはずなんですけど・・・・)。すると演奏のスタイルに比重を置くジャズの特にインプロヴィゼーションと結びつくのは楽器の素質から考えると当然の事だったと言えます。
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Part-2
主な演奏者について
もっとも最初にこの楽器でポピュラリティーをおさめたプレーヤーとして「スターダスト」というスタンダード・ナンバーを演奏したライオネル・ハンプトンがいます。やや硬質の2本マレットによる名演は御存知の方も多いでしょう。同じように、楽曲でのポピュラリティーはありませんがスタイル的に3~4本のマレットを使ってハーモニー的な分野を開拓したレッド・ノーヴォがいます。現在ヴァイブを演奏する人には2本のマレットで演奏する人と、4本のマレットで演奏する人がいますが、原点を辿るとこの二人に行き着くわけです。ちなみに、マリンバでは現在6本のマレットを使う事もそうめずらしくはないのですが、ヴァイブの場合はその分野での開拓はみられません。これは楽器の音域によるものですが、ヴァイブで6本もマレットを使うと楽器の音域を飛び出すマレットがあって合理的ではないのです。また鍵盤の並び方も段差のあるマリンバと段差のないヴァイブではマレットの当たる位置も違い、半音側の鍵盤との距離もあってあまり効果を期待できません。もうひとつの理由としてジャズの場合、コードの演奏を行う時にChord
ToneをTensionに置き換えて演奏しますから、4Way
voicing(4声)で十分足りてしまうのです。そんな理由でこの6本のマレットによる技術的な発展や開拓は演奏者としてのメリットが見られないので殆ど手付かずの状態です。昔トライした事はあったのですが、そんな理由で僕も4本で十分だと思っています。
話が脱線しましたが、その後のヴァイブの発展を辿ると、2本マレットでは50年代のバップ(Be-Bop)と呼ばれたスタイルから出発し60年代のMJQというユニットで活躍したモダンジャズでの代表であるミルト・ジャクソン、4本マレットでは60年代にジョージ・シアリング(p)やスタン・ゲッツ(ts)といったグループで活躍後ジャズ&ロック(今日のフュージョンの源)といったシーンから現在を代表するゲイリー・バートンがいます。その他にも多くのプレーヤーがいますが大別するとこの二人のスタイルを受け継いでいます。
全てのプレーヤーを聴く事はできませんが、僕の聴いて来たプレーヤーを参考として以下にあげておきます。 CDショップによってはジャズのコーナーでも「その他の楽器」なんて場所にアルバムがあるかもしれません。
ロイ・エアーズ、ボビー・ハッチャーソン、カール・ジェイダー、デイヴ・パイク、マイク・マイニエリ、デヴィット・フリードマン、デヴィット・サミエルズ、レム・ウェインチェスター、ウォールト・ディッカーソン、こんなところです・・。けっこう少ないですね。よく考えてみたら他の楽器ばかり聴いてました(ハービー・ハンコック、キース・ジャレット、ビル・エバンス、ポール・ブレイ、チック・コリア、アントニオ・カルロス・ジョビン、ライル・メイズ、etc・・・。ピアニストだけでもとても1pageでは足りないようです)。それほど世界的にも演奏者が少ないのですね。
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●音楽体験記
ジャズとの出会い、ゲイリー・バートン氏との出会い、ヴァイブとの出会い[1]・・赤松敏弘
誰にでも一生の内に大きな影響を受ける人がいる。そんな人との出会いを振り返る歳にはまだ早いが、ほんの些細な切っ掛けがその後の自分を形成するなんて、人生は楽しいと思いませんか?
よく「なぜヴァイブを選んだのか?」って聞かれる事がある。そう、それって人から見て結構切っ掛けがなきゃ今までやって無い事だからなかなか興味ありますよね。まず、僕の場合はこんなところから始まります。だらだらと書きます。
◇第一次接近遭遇 時期は1960年代後半になろうと言う頃、風邪をひいた小学生がいました。今日は学校を休み寝ています。まぁ、ただ寝てるのもなんだからテレビをつけて寝てました。朝の10時前の事。夏休みでもない限りこんな時間のテレビなど小学生が見るハズもなく、モーニング・ショーとやらをあまり意味も分からずに見てました。すると番組の最後の頃になって突然その小学生が興味を持つコーナーが訪れる事に。
何でも今日から来日しているジャズのナントカさんがゲストで出演するそうで、なにやら演奏が始まりました。大人の会話は分からなくても音は子供にだって聞こえてくるわけ。風邪でモーローとした頭にポロンポロンと響く楽器。その時は木琴と思ったのですが、鍵盤が金色にピカピカ光ってるのが印象的。その内そのポロンポロンの人が一人でソロを演奏し始めました。4つ持ったバチを何やら忙しそうに動かしている姿は画面を通して小学生に少なからず興味を与える事に。ピアノと同じ鍵盤なのに面白そう・・。この番組、別の時に見たらホッペを風船のように膨らませたトランペットの人が出てたり、後々気付いて驚く事になるのですが・・・・・・・。
◇第二次接近遭遇 時は少しばかり進み、小学生は5年生になってました。世の中1960年代の暮れで、音楽で言えばピートルズや国内でのGSブーム(これって懐かしい表現でしょ。ガソリン・スタンドではありません)も終焉に近く、世の中ロックが台頭してました。勿論小学生もグワングワン泣き叫ぶギター大好きで家にあったギターをかき鳴らすものの鍵盤楽器以外はさっぱり要領がわからなくて、でもグワングワンのギター大好き。そんな時、実家を建て直して1階をテナントに貸したのです。
ここから偶然が始まる・・・・・。テナントが入って小学生の部屋とはその店の換気扇が至近距離となり、夜宿題でもやろうと机に向かえば、換気扇の向こうから何やら騒がしい音楽が聞こえて来るじゃないですか。最初は「うるさいなぁ」と思ってたものの、毎日聞くこの音楽は、今まで聞いた事の無い種の音楽。その内に毎回流れる曲は覚えてしまい、いったいこれは何なのか興味が膨れ上がる日々。もう分かると思いますがテナントは"ジャズ喫茶"だったのです。と言うからにはジャズという音楽のレコードがあるだろうと、近所のレコード店に駆け込み、ジャズのコーナーをキョロキョロ見てると店のオニイチャンが変な客とばかりにこっちを見るので、こちらから尋ねる事に。
「アノ~。すみません。トランペットとサックスがン・パッ・ンパ・って演奏してるレコードありますか?」とレコード店のオニイチャンに聞いたら、「これか」と視聴させてくれたのが忘れもしないリー・モーガンの「サイド・ワインダー」。これはしめたと思い、もっともお気に入りの曲を尋ねる事に。「じゃあ、フルートがピピッ・・ピピ・ッピッピッピと言うレコードはどれですか?」と言うと「そりゃこれだわ」と出してくれたのがハービー・マンの「メンフィス・アンダー・グラウンド」。でもここで小学生は資金難に遭遇。いわゆるEP盤(つまりドーナツ盤)しか買った事のなかった小学生の資金ではLP盤の(確か)\2.000は雲の上の数字。でも救いの神は存在した。それを察したオニイチャンが見慣れたEP盤を手に「こんなのもあるぞ」と渡してくれた。(確か)\600。これなら小学生にも買える。バンザイ!
ハービー・マンの「メンフィス・アンダー・グラウンド」のEP盤を手に、そそくさと家に向かう。5分後、自分の部屋にいた。興奮と期待が交互に渦巻く小学生は、若干興奮で震える手でレコードをセットしステレオのスイッチを入れ、ドキドキしながら最初の一音を待つ。ベースの刻むパターンが自分の望んでいたパターンと一致し、フルートによるテーマが始まる。もはやこの興奮は誰にも止める事はできない。刻一刻と小学生の最も望むアノ音が現実に近付いてくる。フルートはソロを取り、何故か舌打ちをしながら迫り来る至高の時を逸る気持ちをおさえて待つ。もはやこの小学生の興奮は誰にも止められない。さぁ。待ちに待ったアノ音がやって来る。やって来る。くる・。く・・、アレェ~。終わっちゃったよ。小学生は愕然とした。フルートがテーマに戻り、曲も終わってしまった・・・・・・・・・。
小学生が期待したもの。アノ音。それはこの曲に入ってるグワングワンのギター。何故かカットされてるわけ。つまり、メイン・アーチスト意外は完璧に編集してカットされたのがEP盤だったわけ。どうりで安いはずだ・・・と妙に納得した事を覚えている。が。しかし、その1ケ月後、何とかひねり出した資金でLP盤を持ち蔓延の笑みを浮かべる小学生がいた。そして、「ラリー・コリエルかぁ」「なになにゲイリー・バートンのバンドを退団したって」「ふぅ~ん」「ゲイリー・バートンかぁ」。そのLPの解説を見ながら知らず知らずの内にジャズに足を突っ込む人生が始まろうとしていた。(ああしんど)
◇第三次接近遭遇 時は70年代に突入し、小学生は中学生になっていた。この頃になると中学生の周りにも「コルトレーンはいいねぇ」とか言う類友もいる。漢方薬局の息子で兄貴の聞いてたジャズのレコードをわんさか持っていた。そもそも彼とこんな趣味で通ずる事になるには、ある事件が発端となった。
当時、DJブームで自宅の机に向かっていても"ジャズ喫茶"の終わる午前1時頃までは宿題をやりつつ耳は換気扇方向にダンボ状態で張り付く。"ジャズ喫茶"の音をBGMがわりにしていたものの、閉店するとやたらと静か(と、言っても酔っぱらいの叫び声やタクシーの音は朝まで続くのではあるが)になってしまう。そこでラジオに移行するわけだ。"オールナイト・ニッポン"とかね。当時糸居五郎氏がよくジャズやロックの新着モノをかけてたので、マイルスの新譜とか知ればレコード店に駆け込む日々(今思い出したけど、ニッポン放送の電波をダイレクトに四国の松山で受信してたわけですね。地元の局がネットする前の事だから)。
そんな中、中学校で部活に入らなきゃならなくなった時に体育会系は似合わないから放送部にでも・・・と軽い気持ちで放送部に入った。その内、昼の給食の時間に流すBGMの選曲をまかされた。じゃあ、と言うので家からLPを持ち出し、張り切って流す事にした。確か"ビル・エヴァンス/アンダー・カレント"と糸居五郎氏がラジオで紹介してて買ったばかりの"マイルス・アット・フィルモア"。これがいけなかった。放送室に"うるさい!""やめろ~"の苦情電話殺到。失意の中でなぜか漢方薬局の息子はニコニコしながら"コルトレーンの末期よりは良い状況だよ"と訳のわからぬ事を言う。その後漢方薬局の息子と、お互いの持ち合うジャズ・レコードを交換しあい、ジャズという音楽にポピュラリティーがない事を確証し二人それを楽しんだ。こんなオモロイもんヤメラレません。オシエまへん。
ある時、"卒業生の為に放送部でも何かやりなさい"とのおふれが舞い込む。でも放送部ってしゃべるだけだからねぇ。それで鉾先がこちらに向き、ピアノでも弾いてお茶を濁すか・・・とも思ったんだが、それではあまにりも・・。じゃあ、放送部って録音機材があるんだから録音したものをバックに何かやろう!という事に。結局そんな事で動けるのは僕とエンジニアの2人。重たいオープンデッキを担いで取りあえず音楽室へ向かう。一応学校の楽器なら何でも貸してくれるのでピアノを入れた。ドラムセットがあったからドラムで簡単なリズムを入れた(これは見よう見まねでね)。後自分でやった事のある楽器って何かなぁと悩むが、クラリネットはちょっと地味(クラリネットの人ゴメンナサイ)だし、ギターは弾けないし、と、楽器庫を覗いてみると。あったあったこれだ!ビブラフォンがあった。これならピアノと同じ鍵盤が並んでるしペダルを踏むのもピアノと同じ。バチがあったのでちょっと叩いてみると"これなら出来るワ"と好感触。それで本番まで放送室にビブラフォンを持ち込んでポロンポロン練習の日々。いつかテレビで見た、4本持ってこうやって・・・・。いま考えるとオケを作って流して演奏というスタイルでのパフォーマンスなわけだ。このポロンポロンが、僕にもできると(勝手に)思い込んだ13才の思い出。
オマケ/その後も実家には楽器がないものの、帰り道の楽器店にビブラフォンを発見。カウンターのオネーサンに"ちょっと叩いてもいいですか?"と承諾を得てポロンポロン・・・。あっという間に1時間やそこいらは過ぎて行く。あくる日も、そのあくる日もポロンポロンと楽器店に通う。何日も経ったある日、いつものように学校の帰りに楽器店に寄ると、あわれビブラフォンはたたまれていたのです。ショック。親に相談すると"じゃあ音高にでも入るなら買ってあげよう"という事になり、とりあえずピアノで受験する事(作陽高校音楽科の恩師の皆さんスミマセン。入ってすぐ転科するのはこの時から決めていたのです)に。
その頃に"世界の音楽"というTV番組で"ゲイリー・バートン"と"ロイ・エアーズ"という二人のヴァイビストが共演した。動くゲイリー・バートン氏との第一次接近遭遇でもある。そのバートン氏の演奏する姿を見る内に、何処かで見たような記憶が蘇ってきた。そう、数年前、風邪で寝ていた小学生が見たアノぽろんぽろんはバートン氏ではなかったのか・・・・。いろんなライナーノーツを調べてみると・・・・・・。ありました。1965年スタン・ゲッツのグループで来日している。時期的にも一致するし。(ちょっと風貌は違うけど)独立してから長髪に髭でイメチェンしたそうだから。
その後実際にバートン氏に習う事になったが、この事を尋ねるのを忘れてしまった。この後、バークリーで習うまでに氏との遭遇は益々接近して行くのだが、それは次回のお楽しみとしましょう。
登場する四国?松山?行った事ない人多いでしょう。小学生が中学生になったその街ってどんなトコか興味ある人はココをクリック。今でも市電が町中を駆け巡り、街の真ん中の小高い山にお城があって、温泉があって、海が近くって、気候が温暖で、オモロい人が出没するそんな街にある"FM愛媛/JOEU-FM79.7MHz"のホームページにリンク。(4月10日より許可を得てリンク)
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赤松敏弘
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