■ライブ後記2001
新着!! [2001年4・6・7合併月号]
NEW!!・続、微笑み返しセッション(7月)
NEW!!・北へ南へ、、、降りて弘前、昇って大阪(6月)
NEW!!・たまにはアクシデントも、、、(4月)
[2001年3月号]フッフッフ、養父のワ......(謎)
[2001年2月号]*恐るべき新澤博士の野望!?.......................
[2001年1月号]*YJP200、レコ発から大晦日まで3連発..................
・2000年10月 ・2000年11月 ・2000年12月
[2000年9月号]*小曽根真 in
東京ブルーノート..................
[2000年8月号]*ゲイリー・バートン &
セルジオ・サルバトーレ Duo
[2000年7月号]*Next Door.......ついに登場!!
ドラムンベースとサンプラー/A-ProjrctからNext
Doorへ受け継いだもの。
[4・6・7合併号]
毎日バタバタしていると落ち着かなくて、なかなかパソコンで文章を書くのもままならぬ、、でもやっと時間が出来たので更新。ううん、、思い出しながらだからなぁ、、。 でも毎日何事か事件は起きるものですねぇ、、、。
[7月号]........続・微笑み返しセッション
微笑み返しと言うともう既にたくさんの人が、「ああ、あの人ネ」とわかってくれると思います(そんなわけないっか)。3月の六本木ピットイン養父スペシャル・セッションで知り合ったキーボーディストの村井秀清氏のライブに誘われた。あれからメールでやり取りが始まったんだけど、やつぱりあの「微笑み返し」が一番印象に残る。
養父情操方面委員長、僕、村上聖、岩瀬立飛に微笑み返し村井君という面子。NEXT
DOORのレパートリー「Snob」や「RING」もやった。皆いいけど、特にベースの村上氏がいいねぇ。。無駄なく冷静にいる所に居てくれて、出るべき所はちゃんと出る(注:音楽の話しですよ、音楽の)。随分いろんなベースの人とやったけど、これだけ気持ちよくさせてくれるベーシストは滅多にいない。素晴らしい!
秀清氏はMCも面白い。盛上がると止まらなくなる(笑)。やはりMCの途中「微笑み返し」よろしく目が誘ってくる。んじゃあ、ってマイクを持つとボケとツッコミが始まる。どちらがボケでどちらがツッコミかは想像におまかせしよう。かなりの時間喋ってるので演奏に入ると集中力が失せるかと言えば、これが逆で演奏の中でボケとツッコミが始まる。そういうの大歓迎だから演奏も面白くなる。
「RING」をやった時に岩瀬君が生ドラムンベース(つまりジャングル・ビート)を突然始めた。ウチの新澤博士と一緒にバンドもやってるのでいろいろ情報もあるのだろう。ホントはこの曲、今日はギターとピアノだけのソロと思っていたんだけど、こりゃ面白いし、こんな時にやらなきゃ、やるつきゃないッス、、と途中からソロに参入した。妙に面白かった。
自分のバンドのレパートリーを人のバンドでやってくれるといろいろな事が見えてくるもんだねぇ。いやいや、あの「生リング」は面白かったネ。ハプニングってやっぱりいくつになっても血が騒ぐ。また10月は、どんなハプニングが起こるか楽しみなバンドがまた一つ増えた。
[6月号]........北へ南へ、、、、降りて弘前、昇って大阪
今月は北へ南へと車に楽器を積んで走り回る。体力との勝負(?)だ。。。。ふうーっ
5月から続くCD「IN THE MEETING OF
YOUR
LOVE/MIHOYO(vo)」の発売記念ライブ、6月8日(金)は横浜のBar,Bar,Barだった。普段なら週末の金曜日、横浜あたりがちょっと混むけど、まぁ、20分もあれば帰れるもんだし、ステージがハネた後はゆっくりと皆で話しでもして盛上がって、、なんて事になるはずなんだけど、今回は事情が違う。イソイソと楽器を片付けてるとベースの平石君が「お急ぎですかぁ?」と声をかけてくる。「そう」とイソイソ。。。「これから何処か行くんですかぁ?」、「そう」とイソイソイソイソ。。「スタジオ?」、「違〜う」とイソイソイソイソイソイソ。。「オールナイト・セッション?」、「外れ〜〜」とイソイソイソイソイソイソイソイソ。。。「都内?」、「外れ〜〜」とさらにイソイソイソイソ。。「何処?」「北の方角」。「群馬?」「もっと」。「福島?」「もっと」。「じゃ仙台だ」「もっと」。「釜石?」「ずれた」。「っえ?じゃあ盛岡?」「もうひと越え!」。「まさか、、北海道?」「行き過ぎ」。「青森?」「そう、弘前」。「今からですかぁ〜〜!?」と言う平石君の声を背に「そう!」ってBar,Bar,Barの階段を降りる。午前1時。。。
横浜を出て途中同行のMK嬢をひろい、未明の首都高速、東北自動車道と進む。800kmは遠い。幸いにも金曜日の深夜なので首都高のトラック渋滞は避けられた。お伴はキースの「ケルンコンサート」。懐かしいねぇ、美しいねぇ、やっぱり長旅には心地よい音楽だねぇ〜、と言いながら途中の佐野SSを素通り出来ない。佐野ラーメンとケルンコンサートは何の共通点もみられないが、MK嬢とともに旨いねぇ〜と言いながら腹中に納める。再び車中の人となり、キースの美しいピアノに聞き惚れるも、仙台近郊のSSを素通り出来るわけがなくしっかり牛タンを腹中に納め、抜けるような青空になった岩手の草原を見取れつつ聴くキースもまた格別とかなんとか言いつつも盛岡近郊のSSでは冷麺を腹中に流し込む。結局弘前に到着する頃には運転する気力も満腹、お腹も満腹という満腹の相乗効果で取りあえずチェックインしてベッドに直行。(実際はその後お招きいただいたHさんからH家居候ちゃんとMK嬢の4人で津軽の郷土料理をごちそうになりとても旨かった。しかし、当日朝の飛行機で現地入りする共演者のアリマサの事を考えると、ここでそれを紹介するわけには行かない。秘密だよ、アリマサには)。
翌6月10日(日)は珍しく朝早く(と言っても午前8時過ぎなんだけど)目が覚めたので隣室のMK嬢を誘って弘前城公園へ行った。少し曇りがちながら堀の周りの緑が見事に映える。城内に入り砂利道をサクサクと歩く。昔来た時は紅葉の季節で一面真っ赤に染まりそれも見事だった。MK嬢にその紅葉の見事さを語っていると、、、、何やら遠くの方から気になる音が聞こえてくる。あの黒い集団はもしかして、、、、、、、、まさか、、、、、。
予想もしないこの時期にあるんですねぇ。。「取りあえず回避する為に城の中に入ろう」と本ノ丸に向かったのがいけなかった。このコースは由緒正しい周遊コース。僕らがいくら歩調を速めてもその音は確実に僕らの後から付いて来る。ザックザックザックザック、、、。やがて本ノ丸に架かる橋を足早に渡る僕らの前にさらに予期せぬ事態が、、、。いるのである。別の集団が、、。仮にこれを前方ザクザク隊と名付けると、僕らは完全に前方ザクザク隊と後方ザクザク隊に挟まれてしまったのだ。朝の静かな弘前城公園を散策する、という僕らの目論見はこの前後ザクザク隊に挟まれてその理想的構想を打ち砕かれたのである。修学旅行かぁ、、、、この時期だったっけなぁ、、、、、ザクザクと過ぎ去る黒い一団を見送りながらしばし呆然と堀を眺めるのでした。
その後少しは馴染みのある街なので、ふらふらと散歩し東北で一番最初に出来た喫茶店でコーヒーを飲み、その近くのお店で売ってた「黄金焼き」をほうばりながら街歩きを楽しんで少し元気を取り戻す。
午後到着したアリマサを迎え、今夜の会場に入る。久しぶりのデュオ・コンサートだ。スタッフとして協力してくれる地元のパーカッション・グループ「ファルサ」の方々や音響を担当してくれる地元のベーシスト阿部成人氏とクラリネットの方(ごめんなさい、お名前が出て来ません)、照明を手伝っていただいたヤマゲン氏、会場を提供いただいた樋川社長、他に御対面。
本番直前の豪雨にもかかわらず会場は満員。デュオで何度も演奏したオリジナルやスタンダードから入る。まったく馴染みのない編成と初めての土地という緊張感は独特のものである。客席もそれは同じで1曲ごとの反応で伝わってくる。あまりMCで喋らない方が良いという意見もあるけど、やはりこう言った場所では僕らの方から話し掛けるに限る。突然今朝の前後ザクザク隊抱囲事件を思い出して、その話しをする頃から客席とステージの距離が近付いたように思う。休憩時間に楽屋でアリマサとコロがっていたら「サイン下さい」って受け付けのMK嬢が呼びに来る。時ならぬ「CD販売会場今なら漏れなくサイン付き」状態に嬉しい悲鳴をあげながら、後半はそれぞれのソロでリラックス。っと言っても段々ハードになるのが僕らの強み。一人でも二人分やってしまいますぅ(笑)。無事最終曲、そしてアンコールと終わったらとっくに午後9時を過ぎていた。800kmのドライブ疲れも何のその、と吹き飛ばしてくれるようなホットなお客さんとスタッフに心から感謝。
その夜軽く打ち上げに行ったお店のフロアのおねーちゃんがまた最高にユニークで盛上がってしまった。そのユニークさにアリマサもファンになってしまった。もちろん僕もMK嬢も。そうやって終わったアリマサとの弘前デュオだけど、翌朝再び800kmの長旅をして(勿論各SSは素通り出来なかった事は言うまでもない)も快い余韻を伴って僕の記憶に残っている。御来場頂いた方、スタッフの皆さん、本当にありがとう。
その余韻さめやらぬ内にレッスンや学校のセミナーをやり、児山紀芳氏のFM番組「ジャズクラプ」(NHK)の収録をやり(児山先生ありがとうございました)、むかえた6月15日(金)は六本木ピットインでの大嶋吾郎(vo&g)氏のライブ。3時入りよ〜ん、との事で現場入り。ギターの伊丹さん、ベースの金澤さんが一緒だ。伊丹さんとは初めて、金澤さんとはもう随分前にスタジオの仕事で何度か御一緒しているが二人ともそれが何だったか思い出せない、、。っま、それはいいとして、大嶋氏とは3月のピットイン・スペシャルセッション以来だ。盛上がるトークが最高に楽しい大嶋氏のステージがハネて、再びイソイソ。金澤さんが「これから何処か行くの?」って言うので「大阪です」イソイソイソと答える。「今からじゃ電車間に合わないよ」「車でこのまま突撃ですぅ」イソイソイソイソ。「ひぇっ!」という金澤さんの声を背に、B1のピットインの階段を昇る。ううむ、ちょうど先週の今日もまったく同じ事をやってたなぁ。。。階段は降りてたけど、、、、、。
そして再びMK嬢を乗せて一路中央自動車道と名神高速道を経て大阪を目指す。勿論途中のSSを素通りする事なく、、、。すでにこの1週間で走行距離は2000kmを越えた。目的地まであと何時間だろう。。。。。。
[4月号]........たまにはアクシデントも、、、
NEXT
DOORにゲストを加えたライブというのも何か起きるんじゃないかとワクワクするものだ。当日リハだけの一発勝負(?)。今回は同じVMEレーベルからアルバムをリリースしているウュージョンバンド「BIG
JHON」をゲストに迎えた。
若手でビシバシ決まる彼等のアルバムを聴いていてなぜか懐かしく感じてしまった。思えば僕が東京に出て来た頃はフュージョン全盛期。だから彼等のフィールドの中にその頃の空気を少し感じて親近感がある。親近感と言えば、我がNEXT
DOORとBIG
JHONの親近感もメンバーの構成の点でまさにクロスオーバー。ペースの平石カツミはBIG
JHONの準レギュラーだし、ドラムの平川象士はBIG
JHONのレギュラーだ。つまりBIG
JHONはキーボードの森田君とドラムの平川君によるユニットでスポット的にベースをゲストで加えるスタイルで活動している。つまりこの日のNEXT
DOOR(赤松、養父、新澤、平石、平川)に森田君が加わるだけ、、、で同じステージに2つのバンドの面子が揃うというわけ。普段はやらないBIG
JHONのレパートリーも取り入れてプログラムしてみた。
養父君のオリジナルが終わってNEXT
DOORのRINGに入った時の事。いつものように新澤博士のサンプラーがグワングワンとヒットしている。ゲストとして森田君がピアノに加わり、曲はクライマックスへと突入。しかし、何か普段と違うのである。新澤博士のムーグソロが始まり、そろそろ博士が片手でソロをとりつつサンプラーのエンディングセクションへと続くデータがセットされたボタンに手をかける頃だな、、、と、フロントの僕と養父情操方面委員長は思った。博士の華麗なる離れワザで怒濤の如くエンディングへとなだれこむのであるが、なにか一人だけ「よそ」に行ってる人がいる。フム??。そう言えばさっきのピアノソロあたりも何か一人だけ「よそ」に行ってる人がいねような気配がした。よくよく耳を澄ましてみると、どうもベースの音程がコードの流れとズレてるような、、、。博士を見ると「Cue」を出したいような、出せないような、なにかパニくってるような様子。これはただ事ではないぞ、、、!。。!
今日初めてこの曲をやってる森田君は、、、と見れば、これまた、何が起こってるんだろう、、自分が間違ってるんじゃないだろうか、、、と敢然にピアノの上の譜面直視でフリーズしてアイコンタクトなんて気がつくような状態ではない。僕とユニゾンでバックリフを弾いてる養父情操方面委員長は、、、完璧に「Cue」待ち着陸体制のまま旋回飛行をくり返して目が合うたびに「ラジャー!」をくり返す。しかしすぐさまキュー取り消しの合図を送ると「ラジャーなし!ラジャー」とくり返す。また目が合うと着陸体制と思い「ラジャー!」とくり返すのですぐさま打ち消す。すると「ラジャーなし!ラジャー!すぐさまラジャー!いや、ラジャー再度撤回ラジャー!しかし今度あたり?ラジャー!それは撤回?ラジャー!今度は着陸?ラジャー!っあ、それ撤回?ラジャー!あれ?今どちらでしたっけ?撤回?ラジャー!当面ラジャー!しばらくラジャー!取りあえずラジャー!ラジャー!、、、、」と、これが飛行機なら乗客は確実にパニックである。。。しかし、やはり博士である。ピッチの合わないベースの音源をカットし、右手でムーグソロをやりつつ左手手弾きベースというエマージャンシー、緊急着陸というワザでもって解決した。。。「ラジャー〜〜〜〜〜〜〜〜!」情操方面委員長の相槌がエコーを伴って響く内に無事曲は終了に至った。
どうやらアナログシンセの信号をデジタル側が認識しなくなったのが原因らしい、、、。いやいや、機械の事はともかく、アクロバット的な離れ業でもって無事われわれを帰還させた博士、あなたはエライ。10点差し上げよう。ねえ、情操方面委員長。。。。答えは、もちろん、、、「ラジャー!」
[3月号]
熱気溢れる一夜だった。そしていろんな事件もあった。時は3月23日金曜日。場所はお馴染み六本木ピットイン。リーダーは、フッフッフ、養父のワこと養父貴(g)その人である。そもそもこの企画とは、まるで前夜の原稿朗読よろしき養父君のMCによれば「ピットインに来られたお客さまにアンケートを取りどのようなメンバーでのセッションを望むかを募ったもので.......」ある。だから演奏する我々も興味津々。だって普段やった事のない人とやるのは楽しいじゃないですか。我がバンドNext
Doorの情操方面委員長である養父氏はともかく、この日集まった演奏者の組み合せを誰が予測しただろう。村井秀清(kb)須藤満(b)村石雅行(ds)大嶋吾郎(vo)久保田陽子(vo)というツワモノ揃い。そして僕にセッションリーダーの養父貴。聞けばこのシリーズ最大人数のセッションとの事。何となく結婚式場のスピーチの如き情操方面委員長(養父)のMCの中、式次第じゃなかった、セッションはドンドン進行する。
僕の"SNOB"に続いて養父氏の手に寄るメニューが始まる。いや、始まるはずだった。メンバーの紹介を挟んで「次はナント、大胆にもビートルズの曲をこの編成でやってしまおうと言うものでございます。ベースの須藤氏を大フィーチャーしましてお届けしたいと思っております」とニヒルに語るリーダーに、間髪入れずに須藤氏がツッコミを入れる。「ねぇねぇ、養父君、もっと素直になろうや。これマーカス・ミラーがやってたやつでしょ。ほら、この前やったらいいなぁって君言ってたじゃないか」「いえ、その,,,,わたくし」意外なステージ上での突っ込みに思わず怯むリーダー。「ほらほら、ちゃんと説明しなきゃ、楽になろうよ楽に」会場爆笑。ステージ上では「なぁんだ、資料の音源ってあれ養父君じゃ無かったんだぁ。これカッコイイんで養父貴って奴はタダモノでは無いとおもってたのにィ」と追撃。やや緊迫気味だったステージも一気にこれで和んで行った。それからは須藤氏の怒涛の如きスラップに沸き、村石氏の驚愕のソロでエディングを迎え、セッションとしてボルテージは上がりっぱなし。そのまんま大嶋氏のトークと歌に攫われ、陽子ちゃんのパンチのある歌でノックアウト。普段やらない事もあちこちで勃発。
途中ヴォーカル・デュオのバックでカンピングのアイディアが沸き、隣の村井氏にアイコンタクト。「さぁ、やるゼ!!」っと目配せして次のコーラスに突入。ほら、ココ、ココ。セェ〜の、アレ??。村井氏無反応。フム、これはお気に召さないか。っん、じゃあコレは??。れれ、この人何処見てんだろ?。あっ、こっち見てる。れれ〜。でも焦点が合ってないぞ。ねえねえねえ、ってさらにアイコンタクトをすると目が合った。よし、コレ行くゾ。ッて、あらら、アナタ、私に微笑み返ししてどうするんですか。。。。。
打ち上げの席で村井君曰く「赤松さん、何であの時怒ってたんですか?」。「あのね、それはカンピングでチェーサーしようと思ってアイコンタクトを取ってたら思わずニコって微笑みを返すから変な奴だなぁって思ったの(笑)」..........(爆)。
セッションはいろいろな事件が起こるものであり、またそれが何かの切っ掛けとなってさらに楽しくなるものだ、ね。ピットインでいろんなミュージシャンと知り合いになれるのはとても楽しい事だ。リーダーの養父情操方面委員長、お疲れさま。とても良いセッションでした。 ヨシ!!(笑)。
[2月号]
年の初めというか、世紀始めというか、とにかく無事に21世紀に突入した。時は1月9日火曜日、場所はいつもの六本木ピットイン。サテサテ、21世紀初のNEXT
DOORはドラムに同じVMEレーベルのフュージョン・ユニットBig
Jhonのメンバー平川象士を迎えてリフレッシュ。もとい。決して前任の斉藤純氏がロートル化という意味ではありませんゾ。空気、空気ですよ。時には違う空気も吸いたくなるじゃないですか。それです。
快調にレパートリーを飛ばしていた時の事。以前、月よりの使者である新澤moog博士がサンプラーとドラムのバトルに意欲を示した,,と書いたように、この日の博士はいつもにも増して様々な仕掛けを用意して引っ越しなされた。博士のセッティングは博士の研究所にある大半の機材が導入されるため、われわれは「お引っ越し」といつしか呼ぶようになったのだ。そのステージ狭しと並べられた機材に半ば埋もれつつ、メンバー紹介の段になって、おや?と気が付いた。博士のキーボード・スタンドには「お飾り」が祭られ、しかもチラチラと普段よりも濃い視線で何か空中を舞っているではないか。これは何かあるナ!? と思い、トリに紹介とあいなった。紹介に及んで益々怪しく愁いを帯びた視線とともに、そっと伸びた指がサンプラーのスイッチを押したとたん、博士の恐るべき野望がピットイン狭しと響き渡った。「キーボード新澤moog健一郎!!」のコールに素早く反応する博士の指先。そして愁いの中に写し出される満面の笑み。果たしてその結末は.................................................
「オッハァ〜〜〜」「キミノコト・・・・・」「スーーーーキ!!」,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
博士のサンプラーから躍り出たアニメキャラの声、声、声。。。。
完全にやられたぁ。。。。。
道理で本番前もステージに陣取りなにやらカチャチャと念入りなチャックを行っていたわけだ。21世紀初ギャグに徹夜で命を注いだ(これ、ホントらしい!?)博士の野望は、この瞬間に最大の効果を伴いつつ成果結実とあいなった。
うーーーむ。やはり、博士は我々とはひと味違う作戦を黙々と遂行なされる。コスプレといい、我々の趣味を遥かに超えた次元の趣味に没頭なされる。
後日打ち合わせで養父君とピットインで合った時にも博士の話となり、曰く「やはり、あのピアノの向こうに見えているだろう世界は計り知れないシーンなのでありましょう」。。。「同感」。。。。博士の演奏している姿を御存知の方はわかると思うんだけど、ピアノを弾いている時に博士は時々遠い目をしている事がある。素晴らしい。昨年暮れにレコーディングしたClose
to
Youの博士が用意したトラックにも博士独自の仕掛けが様々あり、それをオーバーダブしながら一つ一つ解明して行く作業は誠に楽しいものだった。音楽は常にキャッチボールであるべし。博士のモードに近づけば近づくほどに、作業中の博士の姿が浮かび上がってくるから、音楽は面白い。
っあ、肝心の新人ドラマー平川君の事を書く時間が..............。続きは4月26日の六本木ピットインで証しましょう。
そうそう、雨の中にもかかわらず遠路浜松から聞きに来られたK嬢。ありがとう。博士のギャグはともかく、NEXT
DOORは真面目に楽しく凄く音楽をやるバンドなのです。誤解無きように(笑)。
[1月号]
なんだかんだと慌ただしく時間が過ぎてしまって、やっと更新!.....しかしもう前世紀のメモになってしまったぁ(涙)。
順に記録を残す事に(トホホ,,,)。
2000年10月は横浜ジャズプロムナード2000で幕開け。我がバンドNEXT
DOORはサンプラーやらシンセやら大量の音源を持ち込むので「是非ともトップバッターに!」という切なるお願いを主催者にしたところ快く承諾していただいた。では当日の午後1時から....という事でIDMや告知をやって当日を迎える....はずだった。9月頃かなぁ?YJP2000のポスターなんかがチラチラと目に入るようになったのは。ある日横浜のライブハウスでチラシを眺めていた時の事。「フウむ、毎年恒例化したねぇ、最初の頃はスケジュールが見えなくて運営委員の人も大変だったけど、この2-3年はスムーズで」と言いかけたところで「アリレ?」関内ホールのスケジュールを見て思わず「グワァ〜ン」。ナ、ナント昼の12時。正午、つまり12:00pmからとなっているじゃないっスか。正午ですよ。お昼。これは全国的に昼食タイム、サービスランチが飛ぶように売れる時間帯じゃありませんか(っま、休日だから関係ないけど)。ううん、せめて午後の「お茶タイム」または関西での「茶ぁ〜シバきタイム」くらいにならないとウザい男の集団のガサゴソジャズなんか聴きたくないかじゃないのぉ?。。。。と、いった一抹の不安はあるものの、こちらからの無理な申し入れを快く承諾してくれたYJPの方達への手前「やるっきゃないでしょ−が」。かくしてフラリとピアノだけ弾きに来るアリマサを除いて全員午前10時現地集合。辛いンですよね、この時間帯って。どうしてみんな夜型になるかをここで釈明している暇はありませんが、早起き(?)覚悟で当日を迎えた。VMEレーベルでは当初この日にニューアルバムを発売する目論みもあったんだけど、諸般の事情で月末にズレ込んでしまった。しかし、そこはIT革命の戦士が集まるVME。何もやらないハズがない。インターネット上で試聴させているジャズ系アーチストのダイジェスト盤をCD-Rで持ち込んで来た。拍手喝采、涙、歓喜。こういったレスポンスは僕らも歓迎する。っで、僕らの心配を他所に、盖を開ければ会場は立ち見も出る盛況ぶり。養父(g)新澤(kb)をメインに平石(b)そして急きょ9月のピットインとこのステージをお願いした吉岡大輔(ds)。さらにフラリとデュオをやりに登場のアリマサ(p)。早朝出勤(?)の介あって客席でのサウンドバランスは好評のよう。途中にアリサとのデュオを挟むステージで最後は僕、養父、新澤にアリマサを加えたレコーディングとまったく同じセットで「Ring」を。サンプラーも無事同期し、いささかヒップホップやクラブ系のドラムンベースと無縁のジャズファンから僕らの試みに徐々に反応が高まるのをステージでも感じた。途中「今日ニューアルバムをココで発表したかったんだけど、時間が足りなくて間に合わなかった。ごめんなさい。でもその代りにVMEレーベルがコンピュータで聴けるレーベルで配信している試聴盤を持って来てくれたので会場の外で配布してますからどうぞ」とMCを入れたら、ナンと10分足らずで持ち込んだサンプルCD-R全部がハケてしまったという反応。プロデューサーのワタナベ・イチローからの嬉しいニュース。僕らの試みは続くレコ発ライブ(六本木ピットイン)へと向かった。
11月はNEXT
DOORのドラムレス・セッション。養父、新澤と3人で準備に走る。例によって赤松邸、新澤邸での作戦会議しきり。養父邸で作戦会議が無いのはナゼ?っと素朴な疑問を持たれるかもしれないが、情操方面委員長の氏は多忙である(ナンのこっちゃ)。最終作戦会議の終了後は例によって新澤電化方面委員長のみ知るところとなる。つまり、当日まで僕らにも想像が出来ない。だってネタがわかってしまったら「面白くない」じゃないですか。そういう意味では例え打ち込みモノであっても新鮮な驚きが演奏を駆り立てる事って成立すると思うんだよね。っで本番。。。。。ちょうどニューアルバム「NEXT
DOOR」も解禁(?)になった事で、その中からのものとヴァイブのソロ(独奏)を中心に。なかなか各方面からアルバムに関して面白い反応が寄せられて来たので、それをさらにライブでどのように発展させるかが新たな試み。いつも冷静なゲストの平石(b)君曰く.....「あの曲のサウンドはちょっとヤリ過ぎですかねぇ」。ふむ。そうだねぇ。確かにかなり過激なオケだねぇ。でも一つだけ言えるのは新澤電化方面委員長が「その時間(打ち込みしてた時間)」に到達していた世界が僕らに見えれば過激ではないかもしれない」。勿論遊び心は含めた上の話しだけどね。っえ?「あの曲」ってなにかって?。フフフ、これはライブを聴いた人にしかわからない秘密にしましょう。
12月はなぜかパーティーとレコーディングの応酬。レコ発という事もあって普段の歳末とは少し異なっていた。やはり世紀末???。そうそう、NEXT
DOORが歌バンやったらどうなりますぅ〜?。こんなとてつもない試みに今月はチャレンジ。ヴォーカリストMihoyo(越智美保代さん)のアルバムをディレクションする事になってその一部にNEXT
DOORとのセッションも入れてみる事になった。ニューアルバムをお聞きの皆さんはわかると思いますがNEXT
DOORの「RING」のサウンドが果たして歌バンにフィットするのか?。。。答えを探るべく、無理難題委員長(つまり僕)と電化方面委員長(つまり新澤)と情操方面委員長(つまり養父)が再び赤松邸と新澤邸に集結を繰り返す。曲は誰でも知ってる超有名曲。予め曲のサイズや構成を作戦会議した後に電化方面委員長へ僕からアレンジ譜とサンプル音源を作成し渡す。例によって当日まで新澤邸ブラックボックスで熟成しサウンドは新澤博士のみ知る事に。。。。、そして迎えた当日。町田のVME本社の録音スペースを借りきり、同時に録音する相内勝雪マニピュレートによるトラックからレコーディングを開始。スムースジャズ系の相内らしい滑らかな仕上がりに満足。じゃあヴァイブをオーバーダブしようか...と思っていた矢先に新澤博士の登場。ウルルンと訴えるその目には「僕も早くやりたいなぁ光線」がウルトラマンのスペシウム光線の如く......ううん、これは博士の「やりたいモード」が最高潮に達している証である。ならば「お先にどうぞ」。。。。これがこの後の顛末に繋がるとは誰が予測できたであろうか。フムフムと機材を組み立てつつ、サウンドの断片を時折発しつつ、やたら機材に「この子はいい子でねぇ」とか意味不明の言動を発しつつ、博士がスタンバイしたのはかれこれ3時間余り後であった。珍しく我々の「養父時間」を裏切り20分も早入りの情操方面委員長とMihoyo、僕は「なぁに、ドラムとベースが居てサウンドチェックしてたらこんなモンよ、ねぇ、ね」と励まし合う。やがて博士がスタートスイッチを入れた瞬間は一同胸を撫でおろした。曰く「ここのところなんですが、手弾きで入れたいと思うのですが後で宜しいでしょうか?」一同「はい」。博士の段取りを崩してはならない。曰く「この部分なのですがA案とB案がありまして、どちらにいたしましょう?」一同「博士のお好きな方を」。博士の機嫌を害してはならない。曰く「ううん、何か少しエネルギーが下りつつあるような気がいたしますが?」一同「夕食に致しましょう」。博士の食欲を満たさなければならない。曰く「ここまで引っ張っても宜しいでしょうか?」一同「思う存分引っ張ってくだしゃいませ」。多少の脚色はあるものの、その内にドラムンベースのパターンはココからココまでは裏にパルスを当てよう..とか、気が付くと僕も博士に乱入しあっと言う間に午後10時。流石に情操方面委員長はシビレを切らしつつある。ギタリストは最初本番前の元気な時間はパキパキとコードの繋がらないギターを弾きまくるのだが、飽きて来ると雑誌に没頭するパターンが多い。僕の知ってるギタリストは殆ど同じなんだなぁ、これが。だからそろそろ待ちの限界と察し「博士、申しわけありませんが情操方面委員長をそろそろ登場させねばその情操があらぬ方向へ飛び火しそうな気配でござる」と促す。曰く「ではムーグちゃんは後で宜しいですね」とその席を情操方面委員長に譲る。「じゃあ頼むよ」「ヘィ、ガッテンだぁ」と30分でOKっスよと豪語する情操方面委員長が席を立ったのはそれから2時間後の事であった。やはりこの日の養父時間はこんなところに存在していた。再び博士の登場は午前零時の事。士はうねるようにムーグを弾き「よきにはからった」演奏を収録し家路に。ふぇ〜、これから2曲のオーバーダブかぁ。明日の夜は再びミックスに来る予定だけど昼間に別の場所で楽器を使うからココしかないしィ、むむむ、やるっスよ。僕かぁ、.............そして楽器をバラして家路に着いたのは、東の空が明るくなり始め長距離のトラックが東京を目指しビュンビュン飛ばす時間と同じであった。これで終わりと思いきや、翌日順調に昼の予定をこなして再びVMEに入り「お疲れさま」といって出たのは世間が「元気一杯おはようございま〜す」と言ってる恐怖の時間。しかも午後は1時から...と誠にタイトなレコーティングでした。しかし、これは聴きものですよぉ。Mihoyoアルバムは5月頃まで様々なセッションを収録して完成の予定。
さてその翌週は僕が東京でレギュラーバンドを組んだ初期のレギュラーギタリストであり、その後「トリオプラス」というユニットで活躍し音楽制作方面でも活躍している吉田重雄君プロデュースによるデジタル放送1時間番組用のレコーディング。彼とは90年にライブハウスで5年振りに再会して以来だから随分久し振り。先月突然メールが届いて今回のレコーディングとなった。ナンとヴァイブのソロ。しかも全てインプロ。スタジオで映像ラッシュを見ながら演奏して行くから当然譜面も何もない。5分くらいの曲(演奏)を1時間分録る。爽やかに目覚め目黒の第一興商本社にあるスタジオに出向く。エンジニアの赤塚氏はゲイリー・バートンのファンで耳の肥えた人だけにマイクのアレンジからエフェクトに至るまで録音前からテンションが高まる。吉田君と昔談義に華を咲かせてはスタジオに入り1曲ずつ録ってゆく。結末は誰も知らない。もちろん演奏している僕にだって終わるまでわからない。面白い。その内に少しずつみんなの意見を交えて行く。勿論そうなるか否かは僕にだってわからないが、チャレンジしてみる。この種の演奏はライブではステージの途中1曲2曲はあるものの、完全な独奏インプロヴィゼーションでしかも1発録りは初めて。ましてヴァイブだとそうあるものではないでしょう。作曲している自分し演奏している自分をもう何年も切り離していたんだけど、久し振りに融合させてみるといろいろな事がわかった。無事に60分録り終わり、スタジオを出たのは午後6時をまわった頃。予定よりもオーバーしたけど、この種の作業としては10曲強をその場で作ったわけだからねぇ。細かい部分は何かとあるようにも思うけど、その瞬間に純粋に出来る事は録音されていると思う。でも、今現在(2001年1月8日)では、何をやったのかさっぱり覚えていないから不思議。2000年12月21日の記録として来週辺りに届くサンプルを楽しみにしよう。曲名も考えなきゃ。
そして暮れた大晦日。故郷の松山でカウントダウン。Monkというライブハウスで地元の栗田敬子(p)さんのグループに参加してカウントダウン・セッション。ロックバンドは出るわ、シンガーソングライターは出るわ、FMの中継はは入るわの大セッションの中で20世紀は暮れていった。それにしても松山にこんなにいろんなジャンルの極者が居るとは.....ノン・ジャンルの音楽セッションは楽しい。21世紀もきっと楽しい事が溢れてるサ。ネ。
[9月号]
*小曽根真 in
東京ブルーノート..................
やっと聴けた/会えた....この夏はなるべく旧知の恩師や友達と会う事を心掛けた。そうでもしないと自分の周りだけで時間が流れてしまい、なんだか息苦しくなると思った。人間「ヨイショッ!」と腰を上げるのは、たいして苦でもないのに、いざその時になるとアタフタと予期せぬ事態に陥ってそのまんま,,,,,,なんて事多いじゃないですか。しかもそれがうっ積するともっと重責になったままモンモンと過ごすなんて事。それをやめたくなって、思い立ったが吉日!!隙間を作れば動けるじゃないか! って気分を変えたら、会えるもんですネ。他人のやってる事(カッコ良く言えば"生きざま"?)を見ると、こっちまでパワーが蘇るから、やっぱり音楽は生が一番。
8月の恩師ゲイリー・バートン(vib)に続いて、今度は新作「パンドラ」が出たばかりの小曽根真(p)Trioを東京ブルーノートに訪ねた。9月9日(土)の1st
Set。メールで「ムチャおもろいバンドや」と本人が言うだけあって、最初からトバしてくれます。その前に本人の頭がギンギンに染められてるのにびっくり。登場とともに会場全体もどよめく。すでにステ−ジが始まる前から「ツカみはOK」(笑)。
新しいアルバムからの曲が繰り広げられる中、昔ボストンでよく見た小曽根トリオとはまったく別物の何かが彼の演奏や構成から感じられてきた。昔から好んで演奏するラテン系の曲にしても、若干難解なアプローチの「パンドラ」にしても、違うんだなぁ.......コレが。ミュージシャンがミュージシャンの事を批評なんかする気も無いけど、もの凄く良いオーラに満ちた演奏を見ると、自分の中で知っている過去の情報と比較する事くらい許されるよね。
ピアノの音色というかタッチコントロールがずば抜けてシャープだった(しかもリズムが鋭い)10年前の小曽根トリオは、スピード感とスリルに満ちた演奏で魅了したものだ。でも今回、それらは影を潜めてピアノという楽器のあらゆる表現の一部分として同化し、純粋にピアノ・ミュージックとして完成されたスケールの大きな音楽へと進化している。しかもそれが不思議にもちっとも難解にならない。かなりコンテンポラリーな「パンドラ」にしても、しっかりとステージの上で起こってるミュージシャンどうしのコミュニケーションが聴き手に伝わるだけの時間とスペースを提供してくれるから疲れない。しかも見事に気持ち良く聴き手の僕らを裏切ってくれる。聞きながら「っお!来るぞ、来るぞ」と昔の小曽根を知る者なら誰しも期待する瞬間に「フッ」とスペースが入って来て、まるで魔法をかけられたように浮遊させられる。こんなに聞きながら「気持ち良く」「安心出来ない気分」にさせられるなんて久しく無かった。思い返せばジャズと出会った頃は何を聴いても「気持ち良く」「安心出来ない気分」になったもので、ラヴェルのピアノ曲なんかも僕はそんな気分にさせてくれるから好きだった。こんな演奏をビール飲みながら生で聴けるなんて、最高だよ。
終わって楽屋に訪ねたら、いつものように「あかまっちゃん」。あれあれ、謎のロブスター・ダンス(本当に謎/笑)の頃とちっとも変らない小曽根に「凄い事やってるねぇ。オモロイわ、これ、むちゃオモロいよ」と正直な感想を伝えた。まだ2nd
Setもあるので邪魔しちゃ悪いと早々に引き上げたので、1年半前のガーシュイン・コンサートで小曽根が発した新しい試みの答えがコレだね...と後にメールを出した。もしも、ショパンやリストがインプロに夢中になったら、きっと同じ事を目指してたと僕は思う。
8月のゲイリーとの再会同様、この日も新しいアルバムのマスタリングの最中だったんだけど、この2時間足らずの小曽根ミュージックはそんな疲れを吹き飛ばしてくれるほど心地よい刺激を与えてくれた。
2000年10月6日記
[8月号]*ゲイリー・バートン &
セルジオ・サルバトーレ Duoへ
[8月号]
*ゲイリー・バートン &
セルジオ・サルバトーレ Duo
8月13日、急きょレンタカーを借り神戸まで800Kmの日帰り往復ドライブを強行した。なぜ?
師匠のゲイリー・バートン氏に会う為だ。東京公演の日はスケジュールが合わず、ならば神戸で.....というわけ。もう5年近くも師匠と会っていない。毎年のように来日しているのに、いつもツア−中だったり仕事だったりで、こんなに時間が経ってしまった。前回は豪雨で中央線が不通となり山梨から車で東京を目指したものの大渋滞に巻き込まれるという災難でロストしている。今回は天気も良いし13日は空きだし、もうここしかない!!。でもその時居たのが松山だったという距離はあるんだけど、もう行かねばなるまい。今回は道中MK嬢がお伴となる。
会場の神戸ポートピアホールに着いたのは午後4時。約5時間の道程。っで中に入ったものの、しばらくはラウンジで休んで第2部からホールに入る。最初は大阪の岩崎恵子(p)Group。見るのも聴くのも初めての人達だったんだけど、PAのバランスが悪く肝心のピアノの音が殆ど聞き取れない。っというよりも、どうもドラムの音ばかり聞こえて来て、なんだかとても気を使っている(ドラマーに)みたいで、妙だった。そのせいか全体にプレーヤーの演奏がバラバラで今一グルーヴと言うかバンドのサウンドにならない。やっぱり聴くからにはリーダーの溌溂としたプレイを僕は聴きたかった。
続いて登場したのがゲイリーのデュオ。さっきの僕個人としてはリーダーに気の毒なPA状態を危ぶんだんだけど、あっさりノーマイク、ノーアンプでやるとの事。全ての楽器を履けてステージはヴァイブとピアノだけになった。めでたし。
しかし、演奏が始まる瞬間までノーライツ。暗転のままじゃ演奏できないよ。困ったゲイリーが思わず「ライト付けて」って叫んでる。何だか妙な雲行き....???。
バド・パウエルから始まったデュオは、最初の内こそ耳がPAからノーアンプリファイアに馴れるまでのもどかしさもあって客席も落ち着かない。でもソウルフル・ビルに移る頃にはすっかりゲイリーのペース。久し振りに見るゲイリーは益々磨きのかかったプレイで迫力がある。先日福岡でこの二人のデュオを見たピアニストの市川秀男さんから電話で「素晴らしく音楽的なデュオだったよ」と聞いていたので想像はしていた。目も耳も馴れた頃になってサルバトーレというピアニストを注視していたんだけど、今一地味に感じてきた。ゲイリーはいつものパーフェクトな演奏なのに、どうしてもインパクトがゲイリーばかりにあってサルバトーレに向かない。19歳という年齢なら....しかもわざわざゲイリーが連れて来るには何か理由があるはずだ.....と推測しながら見ていた。チック・コリアや小曽根真とのデュオに比べてピアノが随分控えめに聞こえる。そんな印象が少しずつ増す中で、それは突然覆される事に..........サルバトーレのオリジナル「スイート」が始まった瞬間から。そう、まるでここまでは軽く流す序奏の如くに、この曲で大ドンデン返しが起こったのである。それもそのはず、ここまでの曲は小曽根やチックによる名演だらけで、それを上回るには19歳ではまだ無理と言うもの。しかし、前人未踏のオリジナルであれば、そこはサルバトーレの独り舞台、これをやりに来たんだ。圧倒・圧巻のスピード感と新鮮な響きを奏でるサルバトーレの曲では百戦錬磨のゲイリーの方が緊張気味。しかし、そこは天下のゲイリー・バートン。って言うか、譜面を見ながらやる時のゲイリーの集中度はそれが音に表れていて僕は好き。人によっては譜面を見る事自体を邪道とする傾向もあるが、曲そのものを新鮮に感じる為には常に白紙の状態でいる事も大切だと思う。覚えてしまった小説を100回新鮮に読み返す事の方が僕は不可能だと思う。
その集中度の高まるゲイリーを相手に、それを上回る若さとパワーでホ−ル全体の空気を変えてしまったサルバトーレの演奏。その余韻に会場全体が沸き返った。そしていつものようにアンコールに答えずに下がるゲイリー。聞き終わって胸の中がスッキリする快演だった。
早速、楽屋にゲイリーを尋ね、5年振りの再会。いつも変らぬ笑顔で迎えてくれるゲイリー。側に居たサルバトーレ達にMy
Best
Studentと紹介してくれ、僕の父親が箏のプレーヤーである事まで紹介するゲイリーの記憶力にはびっくり。VMEレーベルから出したアルバムをプレゼントしたら「このハイブリッドCDって何?」と早速興味を示す。「コンピュータの......」と言いかけると「分った!!」と直に察するし、やっぱりこの人はあらゆる意味で凄い人、さすが師匠だ。今度は東京で逢いましょう....と再会を約束し、再び5時間のドライブの人となった。
ゲイリー・バートン。やはりこの人はいつまでも僕の師匠。
[7月号]*Next Door.......ついに登場!!
ドラムンベースとサンプラー/A-ProjrctからNext
Doorへ受け継いだもの...へ
[7月号]
*Next Door.......ついに登場!!
ドラムンベースとサンプラー/A-ProjrctからNext
Doorへ受け継いだもの。
Next Door
7月の六本木ピットインのステージはバンドとして新しい試みにチャレンジ。
今から10年ほど前にA-Projectという名のバンドを率いていた頃、シーケンサーを導入してヴァイブ、バンジョー、キーボード、ベース、ドラムの編成と同機させる事をやっていた。テレビやラジオ、ライブハウスは勿論、野外のジャズフェスへも積極的に出向いた僕の帰国第1弾のレギュラーバンドで、ファンハウス・レーベルへも作品を残した。いつも何か構想が浮かぶとチャレンジしたくなる僕にとって、そのバンドでの活動はとても楽しかった。車に機材を一杯積み込み、念入りなサウンドチェックをやっての本番。演奏以上に今日は機材がちゃんと動いてくれるかどうか....をハラハラしながら。
いろいろな人から様々な意見もいただいた。試してみて、最終的にデータソースはコンピュータではなくシーケンサー内蔵シンセが一番安定する事とか.....、PAとのマッチングではある程度の音質は犠牲にならざるを得ない事等、やってみなきゃわからない事だらけだった.........................。でも、犠牲に出来ない事もあるんだなぁ、と感じる事があって、このバンドでの活動は3年で終了した。それは、ある時、テレビがライブを収録に来ていた時の事。いつものように演奏してインタビューを受け、それの放送用ビデオのコピーを局からいただいた時の事。ビデオを見た僕は、この種の同機バンドの限界を目撃してしまった。それは「打ち込み」パート以外のミュージシャンが「打ち込み」の流れる間に手持ちプ沙汰に「お休み」している姿。ミュージシャンに非は無い。だってデータに入力されてるんだから弾く必要もないわけだし、ポップスバンドのように振り付けして踊るような音楽でもない。振り付けって僕は自然じゃないから好きじゃないんだ。でもその「お休み」がパフォーマンスとしてはとてもマイナス要素だと思った。ミュージシャン、弾いてナンボのもンじゃないですか。弾かないというのは「弾かないゾ」という本人の意志があってこそ視覚的に「絵」になるものであって、「お休み」はあり得ない事態だよね。その頃データのトラブルで悩む人からは「最終的にDATオケで充分じゃないかなぁ」ともアドヴァイスいただいたんだけど、楽器があってこそナンボのもンですから....と、ステージにシーケンサー・シンセをセットする事を決めていたんだけど、その為にミュージシャンが演奏する事を辞めてしまっては意味はない。
だからA-Projrctとしてやる事の限界が自分の中にうっ積してしまって、「やっぱり人間同士の共演」に優るものは無いっ、て、ギターの道下君とのデュオやフラリと帰国して来たピアノのアリマサ氏とのデュオ、アコースティック・バンドへとシフトチェンジ。僕の脳裏からはシーケンサー=共演する程のスリルは感じない相手.....という結論に至った。
時は流れ2000年。随分前からサンプラー、サンプラーと若い音楽志向の人達が騒いでいるのは知ってたものの、興味も沸かない内に過ごしていた。だって昔のサンプラーって今では考えられないほど容量が小さくて僕には玩具のイメージしかなかった。しかし、これは機器の進化速度を甘く見ていた誤解によるものだった。それを覆したのが我がバンドのサウンドクリエーター企画委員長(勝手に任命)の新澤Moog新一郎。7月のスケジュールは皆タイトで、ピットインの時もメインはデュオとして何とかアリマサ氏のスケジュールはブックできたものの、バンドのスケジュールはフロントのみブックできた状態で最初からリズム隊はスケジュールできなかった。この頃から新しいCDアルバムの録音が始まる事が決っていたし、僕としても何か新しい方向性をこの日のピットインには持たせたかった。そこでバンドの音量興奮方面委員長(これも勝手に任命)であるギターの養父貴とMoog新澤宅に押し寄せての作戦会議。三人での生演奏は昨年試みたが、アリマサとのデュオがインパクトあるので、何か違った方向は無いものか......。しかもアリマサも加えてステージの最後はセッションをやりたい......。この無理難題方面委員長である僕の難題にMoog新澤曰く「ではシーケンス、サンプラーあたりでいかが?」。僕の頭の中では過去の経験から「そうだね、1曲くらいならそれもいいかも」。この時はまだ今のサンプラーの威力を知らなかった。
「一応作曲した時に作ったサンプルのシーケンスデータを聞きながら何か考えようよ」と始まった作戦会議。無理難題方面委員長からは「僕はリアルタイムで編集可能なシステムじゃないと興味ないんだよねぇ」とこれまた無理難題が投げ掛けられる。「昔やって僕の中では一つ完結したものがあってリアルタイムに何か起こらないとつまらないんだよ」。「いいッスね」と音量興奮方面委員長。まぁ養父音量興奮方面委員長は「いいッスね」しか言わない節もあるんだけど、これをシーケンサーとして何で鳴らすかになった時にMoog新澤曰く「シーケンスで使った事はないけどサンプラーだったらイケるかも?」「フム?サンプラー?」。そこでパチパチとMoog新澤博士が入力したデータをサンプラーから再生するとびっくり。音質、そしてループ容量に至るまで何の遜色もないではないか。しかもリアルタイムで編集可能だからサイズだって自由に変えられる。「いいっスね」「よし」。
そんなわけで7月のピットンは盛上がった。Moog新澤博士のハップンするリアルタイム編集(いささかスリルも有り過ぎたけど/笑)に乗せられて無理難題方面委員長(私)も音量興奮方面委員長(養父)も、そして会場にいたMK嬢やN嬢、新参のL-Syu氏他、VMEレーベルの渡部プロデューサー他このサンデーナイトライブを聴いた方達には好評だった。中でも途中で編集不能に陥ったラストチューンは、Moog新澤博士のリセット作戦で修復されるまで、アリマサも加えて人間対サンプラーの大セッションとなった。ハプニングが起こっても修復がリアルタイムで可能なんだ。だからこれは一緒にハプニングで興奮できるパフォーマンスとして成立するものだと痛烈に感じた。これはまさしく「生」演奏。
このサンプラーを使った曲は8月のレコーディングで収録。10月のCDリリースでお楽しみ下さい。
機械は進化するもの。20世紀で成し遂げなかった事があれば、きっと21世紀で再チャレンジを!!。そして機械だろうが人間だろうが、これからはハップンする相手と共演出来る技を我々ミュージシャンは開拓し続けなければならない。