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戦艦陸奥
昭和18年6月8日、柱島泊地に停泊中突如謎の爆沈を遂げた戦艦陸奥。
戦前、帝国海軍の象徴として「陸奥と長門は日本の誇り」とまで言われ広く
国民にその存在を知られ期待を担いながらも、戦局に一切寄与すること無
く思いがけない最期を迎えた。艦と運命を共にした艦長三好輝彦少将以下
1,121名の将兵の無念はいかばかりか。
昭和45年7月から行われたサルベージ作業により艦首、艦尾、第3、第4
砲塔など合計約3万トン弱の部分が引き揚げられ、転覆した状態で今も海
底に横たわる艦中央部は年に数回スキューバダイビングで訪れることがで
きる。平成16年8月7日と平成17年3月21日、この貴重な機会を捉えて陸奥
での潜水をした際に撮影した写真を以下に公開する。「この写真は陸奥の
この部分」、と特定できる情報をお持ちの方は、ぜひ掲示板の書き込みま
たはメールでお知らせ願いたい。
■一番主砲塔
4万トンの戦艦の存在理由である、45口径41cm砲。連装砲塔4基のうち
後部の2基は引き揚げられ、二番砲塔は海底に埋もれており、見られるの
は一番砲塔のみである。平成17年3月撮影。
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一番主砲塔の前盾部分
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砲塔脇の直接照準器
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水深40mの海底の泥上に横たわる、陸奥の主砲々身。まるで煙突のような印象だった。
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主砲の砲口部。一般に「40cm砲」と呼ぶが、正確な口径は41cm。
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以下の写真は平成16年8月撮影
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左舷ビルジキール前端。船体の穴は戦時中の重油抜取り作業の際に穿ったものか。
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丸い舷窓の残る船体 |
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舷窓とハッチ。オレンジ色に見えるのは船体に張り付いた腔腸(刺胞)動物であろう。
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1番主砲塔横のフェアリーダー
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■上部構造物
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前檣楼根元付近の電線類
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これは前檣楼支柱か
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前檣楼の信号ヤード基部
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これが10メートル測距儀の先端
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10メートル測距儀
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10メートル測距儀背面
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4.5m測距儀とダイバー
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4.5m測距儀 |
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艦首、艦尾を欠き転覆してしまってはいるが、約1万トンの鉄塊からは今
なお戦艦としての威容が伝わってくるものがある。水深が大きく、透明度が
低いため艦残存部の全容を見ることはできないが、見渡せる範囲が限られ
るためにかえって想像力をかき立てられる。ビキニに沈む姉妹艦の「長門」
にもいつの日か訪ねてみたいものである。
■陸奥記念館
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山口県周防大島(屋代島)
東和町の陸奥の沈没地点を
見下ろす位置に陸奥と共に
沈んだ将兵を弔うために慰
霊碑が建立され、記念館に
遺品が展示されている。
慰霊碑「陸奥の碑」の碑文
は、三好艦長(海兵43期)未
亡人の筆によるもの。
記念館脇には引き揚げら
れた陸奥の錨、艦首部分、
スクリュー、副砲が展示され
ている。 |
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陸奥記念館前に展示される陸奥主錨
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陸奥のスクリュー、副砲
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艦首の先端部分を後方より見る
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記念館より沈没海面を見下ろす
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■再利用される陸奥の鋼鈑
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海中から引揚げられた陸奥
の鋼鈑は放射性コバルトを含
んでいないため、微量放射線
測定装置を自然界の放射線
から遮蔽する材として重宝さ
れているそうである。
平成16年12月、とある大学
の研究施設にて人体内の放
射性物質の量を測定する装
置、ヒューマンカウンターを拝
見する機会を得たが、その容
器が厚さ20cmの陸奥の鋼鈑
でできた箱だった。 |
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分厚い扉に30cm定規を当ててみる。確
かに20cmの厚さがあった。 |
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1枚で数トンある扉を支える蝶番もまた非常に頑丈な造りである。 |
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↑ 「ヒューマンカウンター」の検査機器。被
検査者はベッドに横たわり、体内の放射性
同位体量を測定される。検査時間は20分と
のこと、閉所恐怖症の方には辛そうだ。
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| 扉を閉めた状態のヒューマンカウンター。 → |
壁に貼られた説明書きによれば、この「ヒューマンカウンター」の内のり寸
法は間口1.46m×奥行2.6m×高さ2.1m、重量は50tとのこと。ワゴン車よ
り小さい程度のサイズで、重戦車並みの重さである。このため、この装置
のためだけに造られた建物に収められている。

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