センス・オブ・ワンダー
ふとした瞬間にこんなことを感じたことありませんか?
「何かがーあらゆることがー起こっている。これはとてつもなく不思議なことである。何も無かったところにビッグバンが起き、そして今ここに私たちがいる。これは非常に奇妙なことだ。」ケン・ウィルバー
この世界とは何か?存在とは何か?今生きているという驚異を感じる感受性は、自己の成長を歩む上で欠かせないものです。たいていの人は成人を過ぎる頃になると、物事に対する見方は固定してしまい、世の中はだいたいこんなもんだと冷めた考えを持ってしまいます。
しかし、何かをきっかけにいつも見慣れた風景や人や状況が、新鮮に見えるときがあります。今まで見過ごしてきた側面に気づき、世界にはまだまだ何かがあると心躍らせる瞬間です。こうして人は好奇心というエネルギーを得て探求をし始めます。
現代アメリカの精神的なリーダー ケン・ウィルバーはこう呼びかけます。
「ところで、私たちはみな驚嘆する気持ちを忘れてはいないだろうか?ただあなたという存在を驚嘆の念でいっぱい満たし、それがあなたを自分自身から連れ出し、世界が存在するという信じがたい神秘へ、事実だけでは決して満たすことのできない神秘へ誘うのに任せてほしい。」
日本でも広まりつつあるシュタイナー教育の創設者、ルドルフ・シュタイナーも環境や他人に畏敬の念を持つことが自己成長の出発点であると言います。
「私たちよりももっと優れた人がいるという深い感情を自分の中に生み出すのでなければ、私たち自身が優れた人へ高まる力を内部に見出すことはできないであろう。」
「讃美と崇敬の対象となりうるものを環境や体験のいたるところに捜し求めねばならない。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努力するとき、私たちはこの能力を貯える。」
「深い豊かな感情を内に秘めた人が美しい山岳地方を旅するとき、感情の貧困な人とは別の体験を持つ。感情を大切に育てたとき、環境における万象のことごとくが壮麗な輝きを満たされる。」
美とは見るものの眼の中にあるといわれます。つまり、心を豊かにすると見るものすべてが、新たな美と意味を開示してくれるのかもしれません。
アメリカの思想家 エマソンのエッセイに耳を傾けてみましょう。
「私の窓の下にあるこれらのバラは、以前のバラでもないし、より美しかったバラでもない。それらはあるがままのものである。それらにとって時間など存在しない。単にバラが存在するに過ぎない。それは存在のあらゆる瞬間において完璧である。
ところが人間は現在に生きておらず、振り向いては過去を嘆き、周囲の豊かさには無頓着で、背伸びして未来を予見する。時間を超えた現在の中で、自然とともに生きるまでは、人は幸福にもなれなければ強くもなれない。」
どうやら通常の心は目の前にあるものになぜか物足りなさを感じ、もっと満足できるものを求めストレスを抱えてしまいます。しかし真に価値のあるものは今ここにすでにあるものみたいです。未来や過去のことを必要以上に考え込まず、今ここにリラックスしましょう。
私たちになじみのある芭蕉は、自然とともに今を生きている代表的な人物といえるでしょう。
「 よく見れば なずな花咲く 垣根かな 」
芭蕉が田舎道を歩いていてふと足を止めます。小さく取り立てて見所のない野の花に眼を止め、じっくりと眺めます。自然に対する愛情から芭蕉はナズナに私たちがうかがいしれない美を見ていたのでしょう。こういった日常の何気ない自然を驚嘆の眼差しでながめる感覚は、日本の伝統の底に脈々と受け継がれているものかもしれません。
すべては私たちの眼しだいです