なぜ今 ケン・ウィルバーなのか?
現代社会の閉塞感は誰もが認めることでしょう。日本の社会制度や国際情勢の現実を直視すると、これから先このままでいいのかと思わざるをえません。環境問題に対しても、もう「待ったなし」の状況といえるでしょう。これらの諸問題に対して、様々な試みがなされていることは確かですが、それらのどのアプローチも全体を変えるほどの力がないように感じます。
その理由は、現在の社会はインターネットの普及などに象徴されるようにグローバル化やネットワーク化が進み、あらゆる面で相互の依存性が緊密になってきているため、今までのように個別の分野ごとの対応では、解決できないことが多くなってきているのです。官僚制度の縦割り行政や派閥組織、政官財の癒着など、硬直した組織において、自分の組織の分野だけに特化していることが弊害を生んでいるのです。様々な分野の研究や人を集めるという横断的な組織がわずかながら出てきていますが、しかしそこで話された結論は、個別の意見の単なる寄せ集めで妥協の産物になってしまうということがあるように思えます。なぜなら、個別の分野を統合する考え方が存在していないからです。
まずはじめに、学問や研究の分野で統合的な考え方が出てこなければならないのですが、日本においては今のところそのような考えは見うけられません。化学、社会学、医学、心理学など個別の領域においては最先端の研究をしているのかもしれませんが、それらの成果をつなぎあわせるヴィジョン(将来像)が存在していないため、現実的な変化を生む力にならないのです。近代の発展は、個別の領域に分けて独自の研究を推し進めてきた結果起こってきたものですが、今や独自性が行き過ぎて分裂しかかっている状態なのではないでしょうか。また、近代の経済発展は、科学の発展によるところが大きいため、科学の領域の考え方が優勢になり、心や文化の領域が取り残されることになってしまっていることも危険です。
科学的客観的に数値で目に見えるものだけが、知識に値するといった科学至上主義が、生活のあらゆる面や人生の考え方にまで及んでいるのです。心とは脳の産物にすぎないという唯脳論に象徴される、物質だけが現実的なのだとする物質主義的世界観が教育の崩壊や生きがいを奪っていることは明らかなことだと思います。しかし、現在の学校や大学の教育機関は本質的に物質主義的世界観に根ざしているため、事態は深刻です。教えている内容自体が人生から意味を奪い取っていっているからです。このような状況を変えようとアメリカで生まれてきたのが、物事を個別に分けて見るのではなく全体性やつながりを考慮しようとする学問でした。科学の世界では、量子力学、複雑系の科学、医療ではホリスティック医学、カウンターカルチャーではニューエイジ運動、ディープエコロジーなどが勃興してきました。それらはすべて人間や世界、宇宙を一つの全体として見ていこうとするものです。そのため既存の学問の学際的な研究が行われたのです。
そういった潮流の中で心理学の分野で登場したのが、ケン・ウィルバーのトランスパーソナル心理学でした。ウィルバーは、西洋心理学の諸派と東洋の伝統的な心理学(霊性)を段階的につなぎ合わせて、誕生から究極の意識まで見事に理論づけたのです。私たちの意識はどのようになっており、さらなる成長、つまり自己実現をしていくにはどうすればよいかを論じたデビュー作の「意識のスペクトル」は、一夜にしてウィルバーをトランスパーソナル心理学の代表的な理論家にしてしまいました。(ウィルバー27歳の時です)
ウィルバーの論点は明白です。心理学や宗教といった人間の意識に関する見方がこんなにも違うのは(そのために争いが絶えない)、それぞれの学派がそれぞれ意識の異なったレベルに焦点を合わせているからに他ならない(そのためそれそれの学派は相互に補うことができ、協力できる)ということです。例えば、電磁波という一つのものが周波数帯によって全然別々の姿になるように、意識もいくつかの階層的なレベルに分かれており、レベルによって全然別の姿となり、そのため違った見解になるのだと考えたのです。つまりそれぞれの学派が焦点を当てているレベルに関してはおおむね正しいことをいっているのではないかとして研究するのです。「フロイトやブッダといった天才がまるっきり間違ったことを言っているはずがない」ということです。
ウィルバーのこの統合的な考え方は、その後も発展していきますが、きわめて重要な視点です。なぜならこの考え方は、あらゆる分野を統合できるだけでなく、それぞれの分野の研究成果を最大限尊重できるからです。個別の分野を無視するわけではないのです。ウィルバーはいいます。「すべてが正しい」と。この世界で起こっていること、意見、体験は、どんなに個人的なものであれ、意味があり、世界に対して何かしら言うことがあるのだということです。従ってウィルバーの道は、すべてを祝福し考慮に入れる、全包括的な道なのです。
ウィルバーの慈悲はすべての領域に降り注いでいるのです。しかし、この慈悲は鋭い明晰性を備えているため、段階特定的にはその理論に最大限、敬意を表しますが、その理論家が、異なったレベルに言及し始めた時には、「待った」といいます。物質の領域を扱う物理学者が、心について何かを言ったり、スピリチュアルな領域を扱う神秘家が化学反応について何かを言うことは、カテゴリーエラー(範疇錯誤)として、断固として批判します。典型的な例としては、フロイトが霊的衝動を性的衝動にすぎないと引き下げたのと、ユングが前個的段階を霊的段階に引き上げたことです。もし化学者が霊は存在しないといっても、それはカテゴリーエラーになるので無視していい事になります。
ウィルバーの仕事の前半は、意識の発達の統合に向けられていました。意識の構造と究極の意識、つまり悟りに関する理論を述べたのが「意識のスペクトル」です。誕生から自我を超えて、悟りに至る段階を述べたのが、「アートマン・プロジェクト」です。意識の成長を実際に行うためのセラピー論を述べたのが、「無境界」です。これら3冊で、意識の発達、私たちがどの段階のレベルにいて、これから何をしなければならないか、またどういう障害があり、それを乗り越えたら何が私たちを待っているのかが、明確に理解できます。人間をトータルにみた理論が現在何よりも求められているのではないでしょうか。ウィルバーの理論は、人間の可能性について大いなる希望を抱かせるものです。前個的状態から、個的な自我のレベルを超えて、超個的状態、悟りへと至るライフサイクルが、早急に共通の理解になることが望まれます。ウィルバーの理論は、文化横断的な研究の成果に基づいて理論を展開しているので、専門家の間では合意されているものです。ウィルバーの仕事は出来あがった数珠に糸を通すことなのです。そうすることで驚くべき結論へと導くのです。
しかし冒頭で述べたように現代の私たちはあらゆる面でお互いが密接に関わりあっているので、自分一人だけが意識の成長を図っても社会全体が変化することは難しいことも事実です。それに社会の平均的な組織構造が、合理性や効率性を重視している中では、合理性を超えた成長を求めることは、きわめて困難になります。従って、私たちは個人の意識の発達と社会の発達を同時に行うことが、全体を前にすすませることになるのです。
そこでウィルバーの後半期の仕事は、意識の発達段階を、人類の発達、社会制度の発達、道徳の発達、世界観の発達などと照らし合わせて、それぞれの分野の見解を尊重しつつ、より深く広い文脈の中に入れる試みを成し遂げたのです。
「進化の構造」という大著で述べられた理論は、科学の最先端の理論にも矛盾しない、あらゆる学問を統合できる、壮大な体系となっています。ウィルバーはもはや、トランスパーソナル心理学という枠を超えて、世界哲学の大思想家となったのです。「進化の構造」はビッグバンから現在まで、私たちの宇宙、生命、心に、何が起こったのかを解説しています。目に見える物質的科学主義の視点からではなく、それらの深層で行われてきたパターン、秩序について書かれています。深層の秩序、あるいは内面で起こっていることの理解が、私たちの人生に意味を与え、社会を変える原動力となるのです。
「進化の構造」には膨大な発見が積め込まれていますが、その中でも、すぐに私たちの社会、生活に応用できるのが、4象限の理論です。これはすべての存在は四つの側面を持っているというものです。個人の内面(イメージや心)、個人の外面(肉体、行動、神経組織)、集合的内面(文化、世界観、関係性)、集合的外面(社会・経済制度、環境)の四つです。私たちの存在、人生、学問、教育、世界などすべての出来事は、これら四つの要素が相互に依存して成り立っているので、どの側面もないがしろにしてはいけないということです。
例えば、医療などは、今まで個人の外面(手術や薬)ばかり見てきたということになります。しかし、医療も四つの側面を持っているので、個人の内面(イメージ療法、心理療法)や集合的な内面(患者を周りの人がどのように支援するか、病気に対するイメージ)、集合的な外面(経済状態や保険制度がしっかりしないと病気は治せない)を考慮に入れないと満足のいく結果が生まれないということです。このような統合的(4象限的)アプローチが、今緊急に必要なのです。現在では、それぞれバラバラの場所で行われているので、四つの側面を考慮した対応がなされていません。これは教育、政治、行政、ビジネス、環境問題、霊性、コミュニティにすぐに応用できるものです。
つまり現代の社会の危機を乗り越えて発達していくためのヴィジョンが、ケン・ウィルバーによってもたらされたということです。アメリカでは、主流派にまではならなくとも、かなりの支持がなされているという状況です。98年刊の「科学と宗教の統合」は、民主党のゴア前副大統領の推薦もあり、ベストセラーにもなりました。統合的ヴィジョンは成熟した合理的な理解を要求するので、浸透するにはまだまだ時間はかかると思いますが、少なくとも「進化の構造」により、人類が先へすすむための突破口は開いたといえるのではないでしょうか。そういった意味で統合的ヴィジョンは、過去の偉大な知識を総合したもので、人類の歴史を変革する分水嶺であるのです。
しかし、日本ではケン・ウィルバーはほとんど知られていないのが現状です。一つの理由として、権威を守りたがる日本の風土においては、統合的ヴィジョンは自分の研究分野を脅かす恐れがあり受け入れがたいというのがあるのかもしれません。研究者は自分が行っているのが最も大事であると思いたいため、4象限理論によって、自分の研究が4分の1にすぎないということが、受け入れられないのでしょう。4象限理論はすべての領域を公平に尊重するものなのですが、自分の得意の象限しか見たがらない人にはやっかいなものかもしれません。
しかし、世界の研究の最先端を見ると、明らかに統合的な研究へと向かっているようです。ケン・ウィルバーは2000年、統合的ヴィジョンに賛同する研究者を世界中から募り、インターネット上に統合研究所を作りました。そこにはあらゆる分野の専門家が結集し、統合的ヴィジョンを現実の世界に適応することが試みられています。先行き暗いニュースが世界を駆け巡る中で、新たな希望の兆しも見えはじめているのです。
もう一つ、ケン・ウィルバーが浸透しない理由として、統合的ヴィジョンの理解は実践による意識の成長が必要になるということがあるのです。論理的科学的なデータ、知識を詰め込み覚えるだけでは不十分なのです。統合的な思考は、自分の意見を脇において、他者の意見を客観的に見れる意識を必要とします。つまりある程度自分自身を離れてみることができ、自己中心的な意見に固執しない性質が求められるのです。これは、意識の成長段階で見ると、合理性を超えたヴィジョン・ロジックの段階ということになります。自分の心、思考、感情にとらわれず脱同一化するための、セラピーあるいは実践を行ってはじめて理解できるのだとも言えます。今の社会の平均は合理性のレベルなので、それを越えるためには何らかの特別な実践が必要です。
そういった意味で、ウィルバーの統合的ヴィジョンには統合的な変容のための実践がセットになっているのです。読んで知識だけあれば、社会はよくなるわけではありません。ウィルバーの最も訴えたいこともそこにあります。「とにかく統合的な実践を始めること」そして今ある自分を客観的に見つめて脱同一化し、合理性を超えた発達をしていく手段として、最も有効なのが瞑想であると言っています。ウィルバーが自分の日常を記した日記(ワン・テイスト)の中で、常に強調していたことも、内面を見つめる、瞑想をはじめる、ということでした。
人類を中世から近代へと押し上げたと言われる、デカルトの「方法序説」も深い内省から生まれました。「われ思うゆえにわれあり」という意識の原初性を示したデカルトは、内面を見つめ続けるという深い瞑想状態の中から出てきた時、彼の全哲学が完全に形成されていたと言っています。内面への長時間の没入は、個人の意識と思考を完全に一新する可能性を秘めているのです。ウィルバーの著作も、禅やチベット仏教といった修行の瞑想体験から、出来あがったものです。単なる理論ではなく実体験に基づくものであるのです。
特に「進化の構造」は3年間に渡る集中的な内面への取り組みから生まれたといっています。3年間で4人しか会わず、すべての時間を統合的思想に費やし、かなり常軌を逸していた精神状態にもなったみたいです。しかし、終わり頃には、ウィルバーにはあらゆる事がすっきりと完璧に理解できるようになったと述懐しています。執筆は天命だと言っているとおり、ウィルバーの著作はすべてスピリチュアルな恩寵に満たされたものであると感じます。そのため読んでいる者を昂揚させ、変容させる力となるのでしょう。霊的な伝達は、「書かれた言葉の中にもある」
デカルトの「方法序説」が人類を神話的宗教の時代である前近代、中世から、合理的科学を主体にした近代に押し上げたのと同じように、「進化の構造」は合理的理性的時代を含みつつ、近代を超えた領域へ私たちを連れていってくれることでしょう。それだけ深く力強い思想であると思います。
「進化の構造」の最後はこう締めくくられています。
「新しい科学が明らかに示しているのは,進化が停止することはなく、それぞれの段階はより大きな未来へ進んでいく、ということである。今日が合理性であれば、明日は超ー合理性であり、それを否定する科学的議論は、世界中のどこにも行われていない。それどころか、すべての議論はそれを支持している。従って私たちの今、立っているところは、ここである。合理性の上にあって、まさに超ー合理的な知覚の先端を待ち構えている状態、科学的なヴィジョンが、そこここで、かつてないほど明らかに、あらゆる場所のあらゆる人に、偏在するスピリットの真の下降の、力強い輝きを垣間見ているところに立っているのである。」
ウィルバーはこのスピリットからの贈り物を最も上手に広げて見せてくれたのでしょう。ホワイトヘッドは、「2千年にわたる西洋哲学はプラトンの一連の脚注である」と言っていますが、これからの世界哲学はケン・ウィルバーの一連の脚注を書くことになるように思います。私たちにゆだねられているのは、「進化の構造」という骨組みに対する、肉付けをすることであります。
・ケン・ウィルバー研究ガイド
ここで、ケン・ウィルバーに取り組むためのガイドを示しておきます。まず、内面から始めることにしましょう。意識の成長のための実践を記した「無境界」が比較的入っていきやすいと思います。自我のレベル、自己実現、トランスパーソナル、究極のレベルとそれぞれの段階のエクササイズがのせてあるので、それを試してみてください。特に脱同一化と無境界の自覚のエクササイズは極めて有効であると感じます。
そして、「グレース&グリット」という妻トレヤのガン闘病記が、ウィルバー理論の概略がでているのでいいでしょう。またこの本はトレヤとケンがどのように意識の理論を現実に使い、死を乗り越えていったかを語っているので、特におすすめします。人間には何かができるのだということを確信されるでしょう。この本を読んで、悟りへの決意と勇気を固めてください。
その後に、「進化の構造」に挑戦してみてください。本の分厚さに怖気づかないように。特に難しい言葉はでてきませんので、最初から読み進めていけば、徐々に全体像がはっきりしてくるでしょう。最後まで読めば、いかに「私」という存在がすばらしいもので、奇蹟としかいいようのない驚嘆すべき宇宙に住んでいるかがわかるでしょう。すべてを見渡せる山の頂上から眺めたように、爽快感に満たされるはずです。そして、世界の現状を変革する知識を知ったという理解から、社会を変革するという責任が心に芽生えてくることでしょう。この理解はあなたを動かさずにはおれないものです。真の知識は行為を伴うのです。「進化の構造」の簡略版として、対話方式で書かれた「万物の歴史」もあります。非常に読みやすいですし、読者の疑問が解消されるでしょう。
そして、具体的な統合的変容の実践をはじめるにあたって、「ワン・テイスト」と「万物の理論」が参考になるでしょう。「ワン・テイスト」は、目覚めた人間が日常をどのように暮らしているのか、瞑想の具体的なやり方と落とし穴など、興味深い内容になっています。意識の高次の領域に関する探究者は必読です。「万物の理論」は、4象限を仕事や生活にどのように適応するかのヒントになります。
意識の発達の詳しい説明と、高次の意識の領域に関しては、「意識のスペクトル」と「アートマンプロジェット」を参照してみてください。特に「意識のスペクトル」の最終章、「つねにすでにあるもの」は、究極の意識、悟りに関する知識としてはこれだけで十分であるのではないかと、何年も経って読み返して思いました。「アートマンプロジェクト」は、瞑想とは何かと発達の形式が重要な箇所です。なぜ瞑想しなければならないのか、霊的修行で何が起こるのかが納得できるでしょう。
「科学と宗教の統合」はウィルバーが初めて、大手の出版者から出した本で、政治家や科学者、大学の教授など、スピリチュアリティを敬遠しがちな人たちに向けた著作です。懐疑的な主流派の研究者の目線で、丁寧に論理的に一歩ずつ宗教と科学の統合に向けた試みをしています。現代科学と神話的宗教の限界を浮き彫りにしていますが、それらの長所もしっかりとおさえています。原タイトルの「魂と感覚の結婚」とあるように、お互いの陣営が仲良く合意に至ることを目指しているのです。人文書籍の売上全米1位を記録したところを見ると、この結婚はかなり成功したのでしょう。
ウィルバーはよく、20世紀初期に物理学の分野で起こった知の爆発に関して言及しています。量子革命といわれた新しい物理学は、私たちに世界の見方に関する根本的な変容を迫ったのです。そしてウィルバーが興味をそそられたのが、量子力学を打ち立てた最先端の科学者たちが皆、霊的な体験をしている神秘主義者だったということです。「量子の公案」は、アインシュタインやシュレージンガー、ハイゼルベルグといった物理学者のスピリチュアルな言葉で構成されています。物質主義的科学を信じる科学主義者に読んでもらいたい本です。彼らが信頼する現代科学の基礎を築いた科学者たちが、いったい世界をどのように見ていたのか。まさにそれは、神秘家たちが見ていたのと同じ世界だったのです。
ケン・ウィルバーの統合的なヴィジョンに取り組むことは、人間性のさらなる発達をしていく能力を養うことになります。それは統合的ヴィジョンが、世界のあらゆる人々、価値観、自然を、包括的に、慈愛に満ちた抱擁へと包み込むため、私たちの心を開き、それに伴ってハートを開くからです。
そして実践を始めてみましょう。長い道のりではありますが、ただ始めてみるのです。古いジョークにこんなものがあります。「どうやって象を食べる?」答えは「一口ずつ」です。実は象を数口噛むことであなたはすでに少なからず報いを受け始めるのです。10分でも座って、思考と感情を見守って見ましょう。朝起きるとき5分間ゆっくりとした呼吸をして起きて見ましょう。あなたは気持ちが落ち着いたり、リフレッシュした気分になるのを見出すでしょう。心が少しだけやわらいだのです。自分の気にいった瞑想を選んで、ちょっとやっみましょう。
「私たちは自分自身に優しくしなければならない。
それは本当である。
しかし、私たちは断固としていなければならない。
自分自身を真の慈悲で取り扱うこと。
自分自身に挑戦し、自分自身に取り組み、自分自身に圧力をかけること。
実践をはじめるのだ。」