純粋意識ートランスパーソナルへの入口
心とは何かを改めて考えたことはありますでしょうか?自分の心を見つめてみましょう。それは何でしょうか?そこにあるのは何でしょうか?
私たちが「心」として感じているものは、思考や感情、欲求が集まったものではないでしょうか。思考や感情、欲求の束である「心」は、育っていく社会環境に応じてある一定の形をとっていきます。この一定の形を心理学では「自我」と呼んでいます。無数にある思考、感情、欲求の中でこれは自分のものだと思っている部分です。
ここで一つ疑問が起こります。私たちが、「私の思考」とか「私の感情」、「私の身体」と表現するとき、この「私」とは何でしょうか?自我とは、思考、感情、欲求のことですから、自我ではありません。自我を対象として見ることのできるこの「私」とは一体なんでしょうか?サイコシンセシスでは、この「私」のことを「セルフあるいは純粋意識」と呼び、自我を含んで超えた自己感覚としてとらえています。
サイコシンセシスのセラピスト、フェルッチはこういいます。
「それはセルフ(純粋意識)を私たちの存在の最も基礎的で、かつ最も明白な部分、核心、として考えるというものです。この核心は、私たちのパーソナリティ(自我)を構成している要素(感覚、感情、思考など)のすべてと全く異なった本性を持つものです。その結果、それは諸要素を方向付け、それらに有機的全体の統一をもたらす統合センターとして働くことができるのです。」
自我としての私たちは普段、自分の事を、思考や感情と同一視しているため、外からの刺激により感情が不安定になると、自分も脅かされているように感じます。また自我は社会的な関係の上で形作られ保たれているので、自分の本当の思いとの葛藤にしばしば悩むことになります。しかし、私たちの心は様々な思考、感情、欲求を離れて見ることのできる、心の本質とでも言うべき一つの中心があるのです。それは常に変わり続ける心の内容とは異なり、私たちの中で常に同じである自己感覚であるため、純粋意識と呼んでいます。
「もし私たちが、自分の内部を充分注意深く見つめてみれば、永遠の要素が存在することを発見できるのです。身体感覚は変化し、感情は消え、思考は流れ去っていきます。しかし、誰かがこの流動体を体験し続けています。この体験している誰かこそセルフ、体験者なのです。セルフとは意識の本質的な状態で、つまり薬剤などの影響のない純粋状態における存在であると言うことができます。また、あらゆる心理的衣服ー思考、感情、感覚ーを脱いで、純粋存在だけが残っているという、心理的な意味で裸体の状態であると言えるでしょう。」
純粋意識は特別な能力ではなくて、誰もが持っているものです。通常この純粋意識は自覚されず、何であれ自分が関わっているものの様態を取ります。例えば、何かを考えていればその「考え」となり、喜んでいればその「喜び」となり、何かしたいと思えばその「欲求」になります。この過程は「同一化」(思考や感情といった心の内容と自分を同一視すること)と呼び、私たちがいつもやっていることです。同一化こそ私たちの苦しみの根源にある問題なのです。
「同一化は自己喪失や、夢や幻想であることもあります。私たちは感情や欲求、また意見、役割、身体と同一化します。問題は、例えば私が特に大切に考えていて真理だと信じている考えに同一化していて、後にそれが間違っていると分かった場合、(考えだけが間違っていたと思うのではなく)自分が誤っていたと感じるところにあります。同じく、身体が注意の対象をなしていて、力と成功の源であり、私が自分をまず主に身体として認識している場合、その身体が弱くなり病気になったり老いたりすると、私も弱り、病気になった、老いたと感じます。もし私が自分のアイデンティティを役割に求めるなら(私は会社員です。私は教師です。私は妻です。など)、その役割が終わると、私の存在の意味も消滅し、無効になったように感じることでしょう。自分をある欲求として体験するなら、その欲求が満たされない限り、自分も満たされることはありません。」
社会で暮らすうえでは同一化は避けられません。問題は、同一化の程度によります。同一化している対象との親密の度合いにより、自分が受けるダメージは変わってくるのです。そして、自分が同一化していることに気づき、そこから離れることにより、問題と思っていたことが、問題ではなくなってきます。この過程は「脱同一化」といい、純粋意識を発見する手段になります。厳密に言うと、同一化が問題なのではなく、同一化しているものだけが自分であるという排他的な同一化が問題なのです。
「あらゆる意識内容は変化し、いつか消えていくものです。だからその内容のいずれかと同一化すれば、ある種の死に導かれるのも避けがたいのです。反対に、セルフと同一化すれば、永遠の存在、人生の上で出会う様々な事件を通して同一であり続ける無条件の核心を、体験できるのです。ある女性はこういいます。「<私は存在する>と言うとき、思考、感情、行動の前に私が存在していることを私は知っています。私は純粋な可能性であることを知っています。」新生児の目を見ると、あらゆる可能性に対して開かれているこの同じ開放性を思い出します。過去の経験によってあらかじめ排除されたり、ベールをかけられたりすることもなく、思考に曇らされることもない開放性です。同様に、束縛のないセルフの本性により、セルフが人間の中で自由が最大限に発揮される場所になるのです。
私たちが、感覚、感情、欲求、思考と同一化している限り、私たちの存在感がそれに結び付けられ、従ってそれが私たちを支配し、私たちの世界認識を制限し、他の感情、感覚、欲求、意見の可能性を閉め出してしまうのです。逆にセルフと同一化していれば、どんな意識内容でも観察し調整し方向付け、超えることも容易なのです。なぜなら、私たちはそれらから脱同一化しているからです。」
脱同一化は、心に起こっているどんな事でもとらわれずただ観察することによって可能になります。これは日常においても実践できます。否定的な感情に飲み込まれそうになった時、自分を観察者の立場におき、感情から脱同一化しましょう。同一化していた時は、個別の思考や感情から、他者と関係していたのが、脱同一化によりもっと広い見地から対処できるようになるでしょう。常に覚えておかなければならないことは、私たちは同一化したものによって支配されてしまうということです。
純粋意識の認識
1、あなたの身体の気づいてください。
しばらくの間、何も考えずー何も変えようとしないでーあなたが意識するあらゆる身体感覚に、ただ注意してください。
例えば、あなたの体が座っている椅子に触れている感覚とか、足が地面についている感覚、皮膚に衣服が触れている感覚に気づいてください。
呼吸に気づいてください。
充分身体感覚を調べ尽くしたと感じたら、そのまま次のステップに進みましょう。
2、あなたの感情に気づいてください。
今あなたは、どんな感情を経験していますか。
あなたが日常繰り返し感じる主要な感情は何ですか。明らかに肯定的なものと否定的なものを考えてください。愛といらだち、嫉妬とやさしさ、憂鬱と高揚・・・。
判断を加えてはいけません。あなたのいつもの感情を、科学的観察者が調査するように、客観的態度で見守ってください。
満足したら、注意を移し、次のステップに進みましょう。
3、注意をあなたの欲求に向けましょう。
前と同じく公平な態度で、あなたの日常行動を動機付けている主要な欲求を調べてみましょう。あなたは、しばしばこのいずれかの欲求に同一化していることでしょう。しかし、今はただ、それらの欲求を並べて、検討してください。
さて、欲求から離れて、次の段階に進んでください。
4、あなたの思考の世界を観察しましょう。
ある考えが思い浮かんだらすぐ、次の考えが浮かぶまで見守ってください。また次の考えが浮かんだら同じようにしましょう。たとえ何も考えていないと思っても、その思い自体が一つの考えなのだということに気づいてください。あなたの意識の流れを、流れていくままに見守ってください。記憶、意見、とりとめのない思い、議論、イメージなどの意識の流れ・・・。
数分間これを実行したら、この領域の観察もおしまいにしましょう。
5、観察者ーあなたの感覚、感情、欲求、思考を見守ってきた者ーは、それが観察してきた対象と同じものではありません。これらの領域を観察してきたのは誰でしょう。それは、あなたのセルフなのです。セルフはイメージでも思考でもありません。セルフはこれらのすべての領域を観察していて、しかもそれらのすべてと異なる本質なのです。そしてあなたがその存在なのです。こう呟いてください。「私はセルフである。純粋意識の中心である。」
・「純粋意識は私たちが持つことのできる最も基礎的な心理的経験です。透明で明晰、濁りのない意識です。しかし、(私たちの注意は、外側、セルフでないものに向けられているため、)この経験は通常、自然に生起することはありません。エクササイズによってこの経験を誘い出すには若干時間がかかります。セルフは外部にあって、それに到達するために努力して探し求めるべきものではないことを認識しておく必要があります。反対に、私たちはいつでもすでにセルフなのです。さらにセルフの経験は、他の意識内容をすべて消してしまうわけではありません。感情や思考は依然として生まれては消えていきます。しかし、今では自己意識の気づきがあり、それらはその気づきの背景となっているのです。」
職場や家庭において否定的な情動に巻きこまれた時は、情動と純粋意識を区別するチャンスです。激しい感情が湧き起こってきた時、自分で自分自身にストップをかけて、感情を観察し、次に観察者のほうに注意を向けてみましょう。感情のほうに行っていた意識を中心の純粋意識に戻すだけで、もう問題の感情にエネルギーを注ぐことはなくなり、問題自体が解消されてしまうことに驚かれることでしょう。気づいたらすぐに純粋意識へ戻りましょう。そして純粋意識を保ったまま、思考や感情、欲求の中へ入っていきましょう。純粋意識は思考や感情に息吹を与え、よりダイナミックに心を働かせます。
私たちは通常、他者や社会、物といった状況との関係において、喜びや生き生きとした感じを体験します。純粋意識はそれ自体に喜びの感情が備わっており、満足するために状況に左右されません。生き生きとした感じを体験するのに特別な条件を必要としないのです。断片的な自我が外側をいくら探し求めても、満足を得ることはありません。満足は内側の純粋意識を発見することにより可能になります。そして自己は欠乏感からではなく、創造的な自己実現欲求から,世界に働きかけるようになるのです。
最後に最も重要なことは、純粋意識はトランスパーソナルな自己に通じているということです。あらゆる面で脱同一化を推し進めれば、やがてスピリチュアルな伝統が「観照者」とか「真の自己」と呼ぶ、自己感覚に行きつきます。霊的な発達は、この純粋意識をより洗練させて育てていくことに他なりません。従って、純粋意識はトランスパーソナルへの入口なのです。身体、心、環境から完全に脱同一化した純粋意識は、完全に自由になり、あらゆる形(物、思考、生命)に息吹を与え、そのもの自体の様態をとるのです。すべてを超えることにより、すべての中に入るのです。
サイコシンセシスでは、この「観照者」を「トランスパーソナルセルフ」と呼んでいます。
「純粋意識(セルフ)は、自分を作り密度を高めてくれる日常的心理的要素から一度離れると、自然にその本源(トランスパーソナルセルフ)に上昇する傾向を有するということです。セルフの確立と個体性の発見から、すべてを包括する普遍性の実現に移行するという成長もありえるのです。純粋意識が透明性と完全性を増すに連れて、私たちの存在のまさに根源といえる所において、創造的活力に直接触れていくための根本的変化が起こるのです。」
それゆえ純粋意識のワークは意識成長の最も強力な技法であると言えます。そしてこのワークは誰でも今すぐにどこでも始められます。
要点は簡単です。
「今ここで 起こっていることを 判断せず ただ見守ること」
このたった一つの技法により、多くの神秘家が「真の自己」に到達し、完全な解放を得てきました。
引用 「内なる可能性」 フェルッチ