内なる英知との対話
カウンセリングで基本となっている考え方は、答えを与えるのではなく、本人が本当は知っている答えにアクセスするのだというものです。カウンセラーは、内面に意識を向けさせ、じっくりと見つめることを奨励します。私たちは、答えを外に求め、他人の意見を聞くことに慣れていますが、答えを導き出す働きは心の中にこそあるというのです。この心の中にある智慧に触れることが、癒しでもあり、また現実的なアイデアを引き出すことになるのです。そのためには、騒々しい思考をゆるめて落ち着いた環境を整えることも必要です。そして、心の中の智慧が働き出すのを静かに待つのです。
この智慧は、自我のコントロールや都合に合わせて働くものではないので、「こうすべきなのでは」とか「こうなるのでは」といった予測、期待を明渡して、ただ待つという姿勢が重要です。繰り返しこの技法に慣れるに従い、緊張やこだわりがとれ、自然に明渡せるようになるでしょう。現在ではかなりポピュラーになりつつあるこのような技法のルーツは、サイコシンセシスを創始したアサジオリに行きつくといわれています。アサジオリは、スピリッチュアルな伝統からこの技法を取り入れ、心理的なセラピーに仕立てあげました。
アサジオリの生徒だったフェルッチが要約しています。
「サイコシンセシスの内的対話という技法は、私たちの内面にあるにもかかわらず、知られないままで、しばしば忘れ去られている真理を利用できるようにするものです。文明から隔絶しているため影響も被らず、また時間の流れも存在しない場所にある山の頂上で、一人の人物に出会う場面を想像しましょう。この人物は人を癒し育むような愛の源です。この人物は個人的な欲求の近視眼的、即時的充足にとらわれず、また環境や一過性のムードに由来する気まぐれな要望にも影響されません。偉大な智慧を持ち、矛盾や逆説に満ちた人生を全体として理解できるような人物なのです。私たちはここで安らぎを感じ、またそれ以上に、深い信頼の雰囲気があるのです。続いて交わされる会話を通してエネルギーの転換が起こり、考えは明確化され疑いは解消するのです。」
内的対話はイメージを使ったワークですが、単なる空想以上のものが作用しています。山の上で出会う賢者というイメージは、内なる英知の最も効果的なシンボルとして機能し、人を癒し、活気を与え、ひらめきを与えるエネルギーと触れ合うことができるようにしてくれます。賢者という明確なイメージを与えることで内なる英知を捉えやすくなるのです。繰り返しワークすることで、賢者とよりつながり、信頼する方法を学べるのです。
内的対話はこんなときに特に有効と言えます。
1、大事な選択に直面したとき
2、危機的状況にあるとき
3、誰も自分を理解してくれないと感じるとき
4、自分の内部の智慧にすがりつきたいとき
5、変化に備えているとき
内なる英知との対話 サイコシンセシスより
自分の現在の問題、知りたいこと、与えてもらいたい智慧について明確にしてください。
はっきりとイメージし、強く求めたことは、必ず与えられるのだということ、自分の心の奥深くは智慧に通じているのだということを信頼してください。
このワークの目的は何々(それぞれの質問を入れます)に対するヒントを得ることです、と心に言い聞かせてください。
それでは楽に座りゆっくりと呼吸をしましょう。
夏の朝のイメージをしてください。あなたは谷にいます。ゆっくりと周囲の様子に気づいてください。空気はさわやかで空は澄んだ青い色をしています。辺りには一面に草花が咲き乱れています。頬を朝の風がやさしく撫でていきます。足が大地に触れているのを感じます。自分の身につけているものに気づいてみましょう。しばらくの間、こうした諸々の感覚について鮮明に意識するようにしてみましょう。
辺りを見渡すと山が見えます。山はすぐ近くにそびえています。頂上を眺めていると、通常では味わえない昂揚感を感じます。その山に登ってみようとあなたは決心します。まず森に入って行きます。松の木の快い香りが漂い、冷たく暗い雰囲気を感じるでしょう。森の中で出会うものに注意を払いましょう。動物、鳥、植物、小屋。
森を抜けると険しい道に入ります。坂道を登りながら、足の動きにつれて筋肉が働き、体を快く躍動させるようなエネルギーを感じます。道は行き止まりになってしまい、見えるのは岩だけです。だんだんと上っていくに連れて、傾斜は次第に急になっていくので、もう手を使ってよじ登る他なくなってしまいます。上昇する感覚が起こってきます。大気は一層新鮮に、同時に希薄になってきます。周囲には何の物音も聞こえません。
いよいよ雲の中に入っていきます。あらゆる物が白っぽく、あなたを包む霧だけが見えます。目の前の岩をつかんでいる自分の手がかすかに見える状態で、ゆっくりゆっくり注意深く進んでいきます。ついに雲が切れ、再び大空が見えます。こんなに高い所ではすべてが一層明るく見えます。大気は非常に澄みきって岩や空の色も生き生きとしています。そして太陽が輝いています。あなたはさらに前進する気持ちになっています。もう登りも以前より楽になり、身体も軽いような気がしてきます。頂上に惹かれ、何としてもそこにたどり着きたい気持ちに駆られている自分を感じます。
頂上が近づくにつれ、高さの感覚が増大するように感じるでしょう。足を止めて周囲を見回すと、すぐ近くにも、そして遠くの方にも、他の山々の頂が見えます。谷や村もはるかに見渡すことができます。
今あなたは山の頂上の開けた空間に立っています。この場は真の静寂に包まれているようです。空は紺青に澄んでいます。遠くに誰かがいます。それは、賢く、やさしい人、あなたが言うことに耳を傾けてくれ、知りたいと望むことを教えてくれる人です。その人物は最初は遠方に小さく光る点のように姿を現します。あなたがたは互いに認めると、ゆっくり歩み寄ります。あなたは喜びと力を与えてくれるこの人物の存在を感じます。その賢い顔つきと輝く微笑を眺め、愛の温かさが放射するのを感じるでしょう。
さて互いに顔を見合わせると、あなたはこの賢者の目を見つめます。そして、何かしてほしいことはないか尋ねてください。
親しくなれたら、次にあなたの智慧を授けてください。あなたの力を見せてください。とお願いします。そして、自分の質問を問い掛けてみるのです。もし答えが与えられたら、静かに注意深く答えを聞きます。答えが与えられた場合、対話を延長してもかまいません。
最後に、お礼をいい、再開を約束して別れましょう。
「内なる可能性」 フェルッチより
森の中で出会った存在の特徴や山を登って行く時の感じなどをメモに残し、自分に対するどのようなメッセージがあるのかを探ってください。
賢者との対話について書くことは洞察を根づかせることに役立ちます。グループで行っているのでしたらシェアをしましょう。
・このワークを行うに際しては、賢者と紛らわしい様々な人物として姿を見せる心の部分に注意しなければなりません。俗っぽい老人、批判的な老人、またその他、愛や喜び、智慧を体現しない人物たちです。条件つけられた思考、偽りの脚本がでてきたときに気づくことが必要です。
・単純なイメージ上の賢者との対話は、簡単なもので終わるかもしれませんが、表面的に交わされた対話の下ではより多くの事態が進行しているといえます。内なる英知へのドアが開かれ、人が受け入れようとすれば即座にエネルギーが流れ込み、、癒したり再生させたり鼓舞するような働きが起きるのです。
・内的対話によって洞察だけではなく成長していくという力を呼び覚ますためにアサジオリは、イメージの中に山を登っていくという「心理的登山」という「登る」技法を用いました。「登る」体験は、しばしば喜びや自由の感覚を喚起し、高所という比喩は、上昇した心の状態を表すために使われてきました。山の頂上は、神話などで聖なる存在が住む所だと語られ、通常より強力で望ましい感覚や思考と結びついています。山に登り、頂上から周囲の景色を眺める想像するのは、高い視点からの解決と、意識が上昇することによる生気が与えられる力がもたらされます。また長い山道を歩き、岩をよじ登っていく努力により智慧を受け入れる心の準備が整うのです。このプロセスは深い変容を起こす上でとても重要です。
・内的対話から与えられる応答は、ワークの最中だけでなく、様々な方法や異なるチャンネルを通じて現れます。
(1)通常、特定の解決に対する期待とか熱望が洞察の流れを妨げているので、遅れて応答が返ってくるかもしれません。ですから何日かして自然に視野が開け、問題もいつのまにか解決していたり、対処法も分かって、一体こんな変化がいつ生じたのか自分でもはっきりしない場合もあるのです。
(2)夢を通じてメッセージがやってくる。夢は無意識の素材を知るのに分析が行われてきましたが、ワークを行いはじめるとまず初めに夢が変わってきます。明確に問題を意識してワークをしている場合はそれに関連した夢が現れてきやすいと言えます。
(3)行動への衝動として答えが現れる場合。それまで特にやってみようとか、する価値があるとは考えてもいなかったものに、突然駆られるような場合です。欲求の変化を注意深く見守りましょう。
(4)友人の言葉、映画のタイトル、本の中でふと目にした文章、日常生活に変化を与える出来事、その他、諸々の外的要因を通じて答えがやってくることもあります。もし読み取れるならメッセージはそこにあるのです。これはユング心理学で言う「共時性(シンクロニシティー)」の一例といえます。
内なる英知からきたメッセージならば、間違いなく正しいという感じが伴い、理解と喜びに満ちているでしょう。生活の中でメッセージを実践してみて効果を確認してみるのも必要です。
ただし内的対話によって与えられる応答は微妙で、しみとおってくるような実に巧妙とさえ言えるような仕方でやってくるという事実は、強調しておく必要があります。直接的でもなく、具体的でもなく、なかなか期待するようにはやって来ない場合が多いのです。逆に質問自体が変化する、あるいは解消してしまうように、私たちの物事の見方の変容を迫るような心理的な特性をもたらすのです。しばしば私たちは変化を恐れるあまり、内的対話の答えから目をそむける場合もあります。その時、内なる英知は自分の存在を脅かす状況や人として現れるかもしれません。